思想地図
シンポジウム「アーキテクチャと思考の場所」 大盛況でした!
(2009年1月28日 @東京工業大学大岡山キャンパス)

盛況御礼! 東京工業大学で開催されたシンポジウム「アーキテクチャと思考の場所」は、おかげさまで大盛況のうちに終わりました。
 平日の夕方にもかかわらず、17時30分のシンポジウム開始時には本会場も中継会場も通路まで人で溢れ、最終的な来場者は軽く1000人を超す超満員に。現在の思想シーンへの期待が感じられ、それにあわせてシンポジウムの議論も白熱したものとなりました。
 司会の東浩紀氏に浅田彰氏・磯崎新氏・宇野常寛氏・濱野智史氏・宮台真司氏と、6名の登壇者が世代やジャンルを超えて今日の知の条件を問うものとなった今回のシンポジウム。この議論の模様は、5月末刊行予定『思想地図』vol.3に収載予定です。楽しみにお待ちください。
 『思想地図』サイトでは今回、西田亮介氏にシンポジウムをレポートしていただきました。西田氏は、1983年生まれ、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科に所属し、政策形成とソーシャルイノベーションを専攻する若き論客であり、また、自治体やNPO、企業のさまざまな地域活性化プロジェクトに関わるプランナーでもあります。『思想地図』vol.2掲載の論考「〈社会〉における創造性を考える」は、大きな注目を集めました。シンポジウムの論点を鮮やか浮かび上がらせた西田氏によるレポートを、ぜひご覧ください。(編集部I)

「アーキテクチャをめぐる、思考と実践のインタラクション」
西田 亮介

 去る1月28日、シンポジウム「アーキテクチャと思考の場所」が行われた。内容については『思想地図』vol.3に収録予定であり、また既にネットにログやレポートも多数アップされているので、議論を逐一振り返る必要はないだろう。ただし、「ウェブのアーキテクチャ」「建築のアーキテクチャ」「〈社会〉のアーキテクチャ」「批評のアーキテクチャ」など、言葉の上では同じ「アーキテクチャ」とはいえさまざまなジャンルについて議論が行われたため、濃密な内容ながら、難解な印象も残った。そこでいくつかの補助線を引くことが本稿の目的である。

 まず指摘しておきたいのは、近年の人文系で最大規模となったこのシンポジウムを通じて、世代を越えた思想(批評)家と実務家、それを受けた読者の間で思考のインタラクションが生じたことである。短絡的に「成否」を論ずる向きもあるが、前述のようなインタラクションの契機が思想や批評の本質的な存在意義であることを再確認するうえで重要なシンポジウムであった。

 さてこのシンポジウムでは、文脈が幾重にも重なり、複数の論点が見出されたが、特に中盤以降重要なキーワードとなった概念が「パタン・ランゲージ」である。思想・批評に関心を持つ読者にとって馴染みが薄いと思われるこの概念に若干の注釈をつけることで、シンポジウムの論点のひとつを明確にしたい。パタン・ランゲージとは、1970年代に建築家のクリストファー・アレグザンダーが提唱した一種のナレッジ・マネジメント手法である。パタン・ランゲージは、専門家の暗黙知を「問題−背景−解決法−全体との連関」のような同一形式で全体性を参照しながら記述することで、広く一般に運用できる形式知に変換していく。アレグザンダーは、専門家依存になりがちな建築の設計プロセスにおける専門家と生活者のコミュケーション促進を目指したのだが、実際にはパタン・ランゲージは建築よりもプログラム作成支援のツールとして普及していった。プログラムも建築同様多くのモジュールで構成されるが、東、濱野両氏の指摘のように、物理的制約が少なく記述する変数はコード記述に関するものに限定される。それに対して、建築には磯崎氏の指摘のように多くの物理的制約があり、また重要な変数が設計、施行など複数の局面に分散して存在するので形式知化が大変難しい。実際、ソフトウェア開発におけるパタン・ランゲージの成功と比べて、まちづくりでの成功事例は乏しい。シンポジウムの論点のひとつは、こうした「建築」と「ウェブ」といったさまざまなアーキテクチャの特性の差異に関わるものであった。

 パタン・ランゲージのコンセプトを批判的に継承しつつ、建築家でありながら建築に批評的介入を行う人物に、シンポジウムでも言及された藤村龍至氏がいる。実はシンポジウムの約2週間前、東、濱野両氏をふくむ私たちは、藤村氏に図面と実物を見ながら氏の設計した「BUILDING K」を解説していただく貴重な機会に恵まれた。藤村氏の「超線形設計プロセス」という設計手法では、設計プロセス内の重要な決定局面の履歴=モデルを全て残し、関係者間のコミュニケーションを促しつつプロセスが進んでいくのだが、人為的な形式知化を行うパタン・ランゲージと比べて、自然な形で自生的秩序としての「設計」が立上がってくる印象を受けた。このように藤村氏は従来の設計主義的工学主義の限界を踏まえつつ、工学主義自身によって工学主義を乗り越えて行く「批判的工学主義」の理論構築を試みている。このようなパタン・ランゲージとその批判的継承についての経緯は、例えば宮台氏と東氏の間の「大文字の公共性」と「自生的な公共性(≒自生的秩序)」という目指すべき公共性のプライオリティをめぐる議論にも関わってくるだろう。

 今回のシンポジウムは、社会設計のアーキテクチャとソリューションに関心がある私にとっても大変刺激になった。前提の異なるさまざまなアーキテクチャに関する議論が、その差異を十分に踏まえて検討されるとき、また別のアーキテクチャに対して生産的な示唆を与えるものとなる可能性が提示されていたからである。むろん、アーキテクチャ論の普遍的な分析的有効性を考えると、シンポジウムでも指摘されたように対象の共通点と差異についてさらに検討する余地がある。『思想地図』のシンポジウムの中でも個人的に今回は特に刺激的だったが、なかでも『思想地図』の「思想本来の力を取り戻す」というテーマを考えるとき、宇野氏の「アーキテクチャの分析と批評的介入はセットでなされる必要がある。なぜなら両者は切り離せないからである」という指摘を忘れることはできない。このような決断主義的態度こそ「研究」とも「実践」とも異なり、作品を起点としたインタラクションの生成を目指す批評という独自のコミュニケーション形式の存在意義を担保するからである。したがってこの宣言は、既存の方法で対象のみを横滑りさせる安易な「批評」に対する批判的メタ批評とも受け取れる。今回のシンポジウムで提出された議論は、『思想地図』vol.3へ、またさまざまな思考の場所へと引き継がれていくはずである。そのとき、このシンポジウムを通してなされた思考と実践のインタラクションもまた、引き継がれていくことを期待したい。(了)
(写真:佐藤 類)
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