思想地図
西田亮介「社会変革の方法をめぐって」<後編:討議>

 『思想地図』を中心に、さまざまな批評家・研究者が集い、議論を重ねている「新批評研究会」。思想地図サイトでは、そこでの西田亮介氏の発表と討議の模様を、特別コンテンツとしてお届けしております。前編に続き、今回は後編です。どうぞご覧ください。


5.島宇宙を超える批評の力

【東浩紀】
西田さん、ありがとうございます。「制度のオープンソース化」と「NAMの方法論的検討」という話から「地域通貨を可能にする社会条件は」というところに話はすすみました。ただ単に「日本は社会に信頼が無いからだめだよね」という後ろ向きの話でではなく、インセンティブ設計の検討が、その失敗例もふくめて必要なのだという指摘だと思います。それをふまえて、社会を設計するアイディアを漸進的に実践していこうということですね。

では、少しずつ議論に入っていきます。まず、これは僕の問題意識ですが、今のインセンティブ設計としての通貨の話と、最初に話したスモールワールド性、「共感」が伝播していくという話は関係しているのではないでしょうか。つまり、地域通貨は伝播していかないといけませんね。NAMの地域通貨でも、それは当然です。その時に、なぜ伝播するのかというメカニズムがすごく大事で、柄谷さんの考えだと、そこで何か超越論的第三項があることによって次から次へと伝播が起こると――なぜそういうロジックになるのか、僕には分からないけれど――、考えていたように思えます。

【西田亮介】
「NAMとは資本主義のガンである」という例え話が何度も繰り返されていたように記憶しています。

【東】
そこで、NAMとは違う伝播のモデルを考えられないでしょうか。つまり、小さくいろいろ伝播していくというモデルが、ありうるのではないか。それで直感的にですが、西田さんが話したスモールワールドの話と地域通貨の話が、何か関係あるのではないかと思ったんです。

【西田】
同感です。僕はポイントはインセンティブ設計とその可視化にあるのではないかと考えています。これまでの社会貢献活動や地域活性化のプロジェクトで採用されていた手法は、さっきの東さんの話にもありましたが、参加者全員にかかる負荷が重すぎたと思います。全人的なコミットメントさえ要求され、それが正しいことだと考えられていた。で、「やりがいの搾取」的に、最後には疲れ果てて燃え尽きてしまう。これでは持続可能性もへったくれもありません。

そうではなくて、例えば普通に消費者として割引が得られるといった形なら、人は自然に釣られていくし、負荷も高くない。負荷が低いからこそ、持続可能性もよっぽど高い。だからこうした仕組みを上手く設計して、ある種の特異点みたいなものをコンセプトとして仕掛けていく方が、今の時代と日本社会に適合している気がします。個人的な話になりますが、僕の仕事は、折り合わない複数のアクターの利害関係が現存する中で、それらの方向をちょっとずつ変えていってちょうどある地域の上で焦点を結ばせる、例えていえばレンズのような仕事だと考えています。

その意味では、東さんのお仕事も新しいコンセプトの提示が多かったのではないでしょうか。isedしかり、『思想地図』しかり。新しいコンセプトによって幾つもの文脈が交差し、繋がっていく特異点として提出されていて、そこが面白いと思っていました。

【黒瀬陽平】
90年代の東さんのお仕事だと「誤配」というのが、それとかなり近いですね。

【東】
僕も、そう思っています。ただ「誤配」という言葉はロマンティックに聞こえて、そこが良くなかったんですが。

【黒瀬】
それ自体にスケールフリー性があまりないということですか。

【東】
そうです。だから、もっとドライな言い方がないか考えてきました。『存在論的、郵便的』(新潮社)と『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)は文体から何から全然違っていて、とても離れた仕事だと一般には思われているんですね。それは『存在論的、郵便的』の「誤配」という概念がすごくロマンティックに取られたせいだと思います。つまり、自分が書き付けた文章が自分とはちがう意味を持ってしまうとか、そういう意味だけで捉えられている。そうではないんですね。人間っていろいろな影響を受けていて、かつまた他人にいろいろな影響を与えている。しかもそれは自分では制御できなくて、自分は何気なくしゃべったことが相手に届いた時に、全然違う自律性をもってどんどん伝播していって、思わぬことになっていくということが僕の考えていたことなんです。ぜんぜんロマンティックな話ではない。

【西田】
ルーマンを想起させますね。ちなみに、ルーマンもデリダを引用しています。

【東】
ルーマンとの類似性は、昔からよく指摘されてきました。僕も考えはまだまとまっていませんが、ただ、「自分はこういう島宇宙に属している」という閉じた世界だと思っていたら、何かを媒介にしてポンとジャンプしてしまって、「1ステップ、2ステップぐらいジャンプしたら、いつの間にかまったく違うところに来てしまいました」ということってあると思います。実は、アマゾンのリコメンド機能ですらそういう働きをしているのではないだろうか。

昔から思っているのは、批評というのはそういう機能をもっているということです。批評というのは物事を整理するというよりも、人を島宇宙から連れ出す。自分について語っていると思っていたのにいつの間にかちがう場所にいました、というところにこそ批評の力はあるんじゃないでしょうか。

【西田】
「どこかに連れて行ってくれる」という感覚の魅力ですね。それで言えば、僕が宮台真司先生に惹かれたのも、その側面が大きかった。今思えば、論理的に正しいか否かというということよりも、圧倒的な情報量とそれをつないでいくスピード感において、学部時代の僕は「宮台真司」にものすごく惹かれました。例えば宮台先生の近著『日本の難点』(幻冬舎新書)には、あらゆるテーマを論じきる宮台先生の真骨頂のスピード感が久々にありました。最近の先生の仕事には各論が多かったので、とても楽しくというと語弊がありますが、興味深く拝読させていただきました。

【東】
たしかに『日本の難点』にはスピード感がありました。ただ、『日本の難点』についていうと、やはりそこは今の宮台さんになっていると思う。つまり、すごく簡単に言うと、もう宮台さんにとっては「理念」は人を説得するためのツールでしかないんですよね。ツールとしてさまざまな「理念」を持ってきて、目の前の人を説得することは出来る。

でもそこから先が、僕にはちょっと見えなかったんですね。『14歳の社会学』もそうだけど、「娘さん3人が生まれ」とか「お婆ちゃんの話を娘がしゃべった」とかああいうところには妙な質感というか手触りがあるんですが、それ以外のところには、僕はあまり固有のものを感じなかった。

【西田】
宮台先生は昔からそういう人だったと言うことも出来るのではないでしょうか。娘さんにまつわる部分にだけ手触りを感じたと東さんはおっしゃいましたが、それは興味深い「宮台真司」論です。宮台先生には、その時々に周りで濃密に関係している人間とのインタラクションで重要だと思うことを選択している、という部分があると僕は見ていますので、だから今は「奥さんがいて、娘さんがいて」という部分から出てくる議論が宮台先生の核になっているのではないかと思います。

【東】
なるほど。これは思想とか批評の問題に跳ね返りますが、一言でいうと『日本の難点』が売れているのは論壇誌が終刊する、論壇の死が言われていることと表裏一体です。あの本は、論壇なんて無意味だと言っているわけですね。で、それ自体はまったく正しくて、確かにどの論壇人より宮台さんの方がはるかに頭がいいんだけど、しかし、その宮台さんも「理念とかは単にツールとして使えばいいんじゃないか」ということになっている。で、これしか道がないのだとしたら、それは大変だなと思います。


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