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| TOP >Shumien News:江戸東京花散歩(1)団子坂の菊人形を継承 谷中菊まつり |
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団子坂の菊人形を継承
谷中菊まつり
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| かつて日本を訪れた外国人に「庭園都市」と評された緑あふれる都市、江戸。この町では四季折々の暮らしと植物が分かちがたく結びついており、独自の園芸文化が花開いていました。この連載では、文学や詩歌、絵画などに表現された、江戸・東京の花や緑のある風景を取り上げながら、現代の東京でその面影を探していきます。 |
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熊本から上京し大学に入学した三四郎は、大都会東京での個性あふれる人たちとの交流や、どこか人を惑わせるような美女、美禰子への思慕を通し、少しずつ成長していく――明治41年に発表された夏目漱石の青春文学『三四郎』。そこには当時の文化や風俗、風景が生き生きと描かれ、私たちを明治後期の活気あふれる東京へと誘います。 三四郎が、美禰子からのハガキで誘われ、数人で見物に出かける「団子坂の菊人形」も、その一つ。狭い坂の両脇に菊人形を飾った小屋が立ち並び、多くの見物人が行き来しているようすが描写され、そのにぎわいぶりが伝わってきます。 その後美禰子と2人で人込みを抜け出した三四郎は、彼女が口にした「迷える子(ストレイ シープ)」という言葉に心を動かされ、恋心を強めていくのです。 |
谷中菊まつりでは、2体の菊人形が展示される。女の人形は江戸末期に、美女の誉れ高かった笠森お仙がモデルとなっている。大圓寺境内にはお仙の石碑が建っている
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団子坂で菊人形が展示されるようになったのは幕末のころから。谷中や千駄木界隈には寺社が多く、その庭木やお供えの花などの需要から、江戸末期から植木職人がたくさん集まっていました。その宣伝のためのショールームとして、それぞれの植木職人が腕によりをかけ、庶民に人気があった歌舞伎役者や、討ち入りなどの事件をテーマに、人の姿を菊細工でつくったのが菊人形の始まりのようです。 明治維新の時期には一度衰退しましたが、その後盛り返し、明治20〜30年ごろに最盛期を迎えます。しかし両国の国技館などで電気じかけの大がかりな菊人形展示が始まったりしたのに押され、明治44年が最後の開催となりました。 日露戦争(明治38年終結)後の話である『三四郎』は、終わりに近い時期ということになりますが、その描写を見る限り、まだまだその人気は衰えていなかったようです。 |
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庶民の楽しみだった菊人形を現代に継承し、昔ながらの谷中のよさを今に伝えたいという思いで、1984年から始まったのが谷中の菊まつりです。菊人形づくりは顔と手足、胴体、菊を使った衣装の3つの部分を分業で行います。谷中在住の菊人形師が、菊人形の顔と手足をつくり、胴体と菊の衣装は谷中菊まつり実行委員会会長の野池さんがつくっているそうです。根がついたままの小菊の根の部分を水ゴケでくるんで用い、人形の後ろから水やりをして花を長もちさせるとの話です。 現代に復活した菊人形の谷中菊まつりは、不忍通りをはさんで団子坂と反対側の三崎通りを上ったところにある大圓寺で、2008年は10月11日(土)、12日(日)の2日間開催されます。菊の花を愛でるだけでなく、菊なますや菊酒、菊稲荷など、味わう楽しみもあります。また、雅楽の演奏や薪舞(たきぎまい)などを観賞する楽しみも。下町の路地のふれあいを大切にし、谷中を愛する地域の人たちの手でつくり上げた、温かさが伝わってくるお祭りです。 今では団子坂にはマンションが立ち並び、すっかりその姿を変えてしまいましたが、秋の高い空のもと、往時に思いを馳せながら散策してみるのも趣があるかもしれませんね。 |
古きよき時代のぬくもりや情緒が味わえる、谷中菊まつり
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小菊の鉢植えなども販売
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本堂前で舞う薪舞も見ごたえがある
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