麻生首相は、そもそもことばの力をあまり信用していないようだ。自分は評論家や学者ではなく、「政治家してるんですから」と答え、あくまでも、「現実問題」にこだわる。つまり、“事務処理型リーダー”を自認しているようだ。そのビジョンはと問われ、「小さくても暖かい社会」だという。しかし、その標語は国民からの注目を集め、国民との共感を盛り上げることばとはなっていない。「基本的にそう思っております」、「したがって〜というふうにご理解いただければと思います」といったような官僚、役人的な紋切り型のことばからは、熱い思い、情熱、真剣さはなかなか伝わってこない。
また、麻生は上から目線の話し方、皮肉っぽく相手を攻撃する話し方が目立つ。それがテレビを見ている有権者にどう映るか、その影響をわかっていない。人はリーダーの信頼性、誠実さや真剣さを、その人の話す内容だけでなく、話しぶりやしぐさ、表情といった非言語情報からも直感的に判断する。それらは見た目のことば、言語感覚といってもいいだろう。アメリカ大統領選でも、オバマとマケインのテレビ討論を見た有権者がオバマを『大統領らしい=presidential』と評したのは、怒りっぽく攻撃的なマケインに対して、オバマが相手の攻撃に対しても沈着冷静で呼びかけを絶やさないからであった。
一方、鳩山代表は、国民が互いに「他人の幸せが自分の幸せ」であると思えるような「友愛社会」の実現というビジョンを提示し、「古い政治よ、さようなら」と言い、日本に変化をもたらそうとする“変容型リーダー”を目指しているようだ。情緒、理念中心のラポート・トーク的なアプローチそのものは正しいといえる。また、「一言で言えば」「もっとわかりやすく言えば」といったことばを繰り返し、聞き手中心のことばを意識しているようにもみえる。攻撃的な麻生にも、「一緒に〜していこうじゃありませんか」と語りかけるなど、聞き手中心のことばの力を理解し、それを生かそうとしている点で、少し鳩山に分があるかもしれない。
しかし、せっかく三鷹第四小学校のボランティアの話など、具体的な人間の顔が見えるエピソードを引いていながら、「コミュニティースクール」「タックスイーター」など、庶民になじみのないカタカナことばを使うので、親近感、現実味が沸いてこない。いかにも都会の名門出身の人の言語感覚、「地方主権」と強調する割には、あまり地方の匂いのしてこないことばだ。 課題はいかに情緒と情報を融合させ、聞き手の共感を盛り上げるようなテーマとして広がりを作り上げ、聞き手からの反響を呼び起こすことができるかだ。今のところ、それは鳩山個人のウチの世界に留まっており、いってみれば知的上流階級のことばとして一抹の青臭さ、胡散臭さがつきまとっている。聞き手が自分のこととして関連づけることができるような、重層的なことばの広がり、進化が必要だ。ウチをいかにソトの世界に広げるかだ。
つまるところ、二人とも日本のリーダーとしてはことばの修行がまだ足りないといえる。
| 麻生 |
鳩山 |
| 冷笑・攻撃的 |
友好・呼びかけ的 |
| 現実的 |
理念的 |
| 官僚的・紋切り型 |
上流階級・都会的 |
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