
奥州にあった義経は頼朝の挙兵を聞き、少数の郎党を率いて鎌倉に駆けつけた。
一門以外を人と思わぬ平家のおごりと横暴は、各地に反平家の動きを生み出す。治承元(1177)年6月に発覚した「鹿ケ谷の謀議」は、平家の足もと京の都で起こった反乱で、俊寛や、藤原成経、平康頼らは鬼界ケ島に流される。
治承4(1180)年4月、後白河法皇の皇子・以仁王が、全国に平家追討の令旨を発して、源頼政とともに挙兵した。令旨を携えて諸国の源氏を回ったのは、源義朝の弟・行家である。しかし、その企ては準備が整う前に平家側に露見し、大軍をもって攻められた以仁王と頼政は、5月、宇治の戦いで戦死する。
令旨を受けてすぐに京に向けて出撃したのは、木曽の源義仲だった。同年9月のことである。その前月、頼朝も妻の父・北条時政の支援を受けて伊豆で挙兵する。平家打倒をめざした反乱は全国に広がり、義経ら源氏一族だけでなく、平家の支配に不満を持っていた地方武士が各地で蜂起した。 |

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1177(治承元)
鹿ケ谷の謀議が発覚する |
1179(治承3)
清盛、後白河法皇を幽閉し、
院政を一時停止させる |
1180(治承4)
2月 安徳天皇が即位する
4月 以仁王、平家追討の令旨を発する
6月 福原遷都
8月 頼朝が挙兵する
9月 義仲が挙兵する |
1181(養和元)
2月 緒方惟能が挙兵する |
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