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ドラマがもっとわかる! 義経の生きた時代をひもとく
監修 奥富敬之
文 林 由喜子

【六】頼朝の奥州制覇と鎌倉幕府の成立
奥州に都落ちした義経は泰衡の裏切りにあい自害。頼朝は奥州を制覇する。

 平家の滅亡後、頼朝と義経の関係は悪化した。後白河法皇は兄弟の確執を巧みに利用し、初めは義経に頼朝追討の宣旨を与え、頼朝による義経追討軍が京に迫ると、一転して、頼朝に義経追討の宣旨を下す。
 義経は京を逃れて西国に向かうが、船の難破などで果たせず、畿内を転々としたのち、奥州の藤原秀衡を頼って都落ちする。しかし秀衡の死後、その長男・泰衡は頼朝の要求に屈し、義経を攻めて自害に追い込む。その後、頼朝軍により藤原氏は滅ぼされ、頼朝の武家政権スタートの土台が固まった。
 建久3(1192)年7月、頼朝は征夷大将軍に任じられ、本格的に鎌倉幕府が成立する。幕府は全国の軍事・警察権を掌握したが、それは実質的に、律令制下の土地支配を幕府のものとすることになった。頼朝は直属の配下を御家人として土地を安堵し、幕府と御家人との間には「一所懸命」の強い結びつきが生まれることとなる。


頼朝の奥州攻略
文治5(1189)年7月、頼朝は奥州藤原氏追討のため鎌倉を出発した。9月2日、頼朝は厨川柵に立ち、父祖・義家の後三年の役での戦功にあやかり、ここで泰衡を討ち取ることを願ったという。
関連年表6
1185(文治元)
5月 義経、腰越で足止めされる
10月 後白河法皇、義経に頼朝追討の命を下す
11月 法皇、頼朝に義経追討の命を下す
頼朝、諸国に守護・地頭を設置
1187(文治3)
2月 義経、秀衡を頼り奥州に下る
10月 秀衡没
1189(文治5)
閏4月 義経、衣川で自害する
7月 頼朝、奥州藤原氏追討軍を発する
1192(建久3)
頼朝、征夷大将軍に任じられる


鎌倉幕府の機構

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