直接的なきっかけは、身近な友人や親戚からたまたま同時期に、子供が学習障害で悩んでいる、という話を聞いたことです。その後いろいろ調べるうちに、学習障害の症状の一つに難読症(ディスレクシア)という、文章が読めない障害があることを知りました。
僕はいつも、身近な人たちに読んでもらうことをイメージして物語を書くのですが、「難読症」という、本を読めない・読まない人たちがいると知り、そういう人たちに“物語”を届けるにはどうしたらいいのだろう、と考えました。そこから「物語の役割」についても考えるようになったのです。
僕自身、小さい頃から物語に救われてきたという思いがあります。この作品のテーマとして、一つは、「文章ってなんだろう」とか「読むってどういうことだろう」ということ。もう一つは、生きていく“よすが”としての物語はやっぱり必要なんじゃないかな、という思いがあります。「どうしてこんなことに」と悩んだり、「こんなふうになりたい」と願うことは誰にでもあると思いますが、そこを起点として将来を考えるとき、他者の経験や歴史、物語といった蓄えがないと、未来へのイメージも貧弱なものにしかなりません。そうした理由から、主人公のユノが、大好きな物語から力を得る、という話にしました。
何かを議論するときに、「問題」を全員が同じようには見ていなくて、それぞれが良かれと思っても結果として衝突を生んでしまう、そして大人たちの衝突によって、当事者である子どもたちの気持ちが置き去りにされてしまう……ということはよくあるのでは。
実際に学習障害に悩んでいる方が『暗号のポラリス』を読まれた時、「こうじゃないよ」っていう感想を持たれる可能性もおおいにあります。取材や調査を重ねて痛感したのは、「一概に言えない」「みんなが同じではない」ということ。一つの「正解」を提示することは、残念ながら誰にもできない。完全に間違うこともできないわけで、それならせめて、ユノという一つの例として、「こういう人もいるんだな」と受けとめていただけると嬉しいです。