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特別寄稿

NY在住の社会学者が考える、現代日本の閉塞感を突破するためのキーワードとは?
池上英子(ニュー・スクール大学大学院教授)

最終更新日 2019.06.17

「見え方・感じ方のマイノリティ」である自閉症当事者たちには、驚きの世界観としなやかな知性が備わっている――。新著『自閉症という知性』(小社刊)において、ニューロ・ダイバーシティ(神経構造の多様性)の視点から私たちの世界を捉えなおした著者による特別寄稿。

写真撮影=Nerissa Escanlar

 ニューヨークの大学で教えるようになってから、もう20年ほどになります。
 こちらの地下鉄は、日本的な基準からするとかなり汚くて狭い。しかし、そんな地下鉄がニューヨークの象徴とも言われているのは、多様な乗客たちが発生させる雑多なエネルギーのせいではないでしょうか。
 車両のなかにはスイングして歩く高齢者シンガーもいれば、駅には大道芸人やミュージシャンたちの発する音が鳴り響く。多様な人がいて、それらの人々がものすごい勢いで交差する。ニューヨークに住むようになってから、ダイバーシティ(多様性)という言葉が創造性とリンクしていることが、身にしみて感じられるようになりました。
 ダイバーシティというと、人種、文化、ジェンダー、セクシュアリティなどを連想される方が多いかもしれません。さまざまなマイノリティの「あるがままの価値」を発見し、配慮する。それはとても大事なことです。
 しかしダイバーシティは、創造性の拡大を目指す社会にとっては積極的価値にもなるはずです。ですから私は、もし最近の科学的な知見に基づく概念のなかから、現代日本の社会的な閉塞感を突破するために有効なキーワードをひとつ挙げるとすれば、それは「ニューロ・ダイバーシティ」(神経構造の多様性)ではないかと考えています。
 この言葉に従えば、自閉症スペクトラムやADHD(注意欠陥・多動性障害)などの「発達障害」も、脳の正常なバラエティのひとつの形であるという発想、脳の個性であり特性だという視点につながります。
 多くの人は、「発達障害」を医学的な見地から問題にします。もちろん「診断」や「医療」という角度は大切です。しかし、それでどれだけその「人」のことがわかるでしょうか。
 たとえば、自閉症当事者が見ている世界や経験には、美しい部分もあれば困難がつきまとう部分もあるでしょう。その両方を知ってこそ、その人を知ることにつながるのではないでしょうか。いつしか私は、当事者の世界観をまるごと知りたいと思うようになりました。
 今回出版した『自閉症という知性』は、そんな私の願いに応じて書かれました。焦点を当てるのは4人の自閉症当事者たち。これまでに交流を深めてきた数多くの当事者のなかから、国籍も認知特性のパターンも違う4人に協力してもらいました。


 自閉症当事者たちと交流する過程では、いろいろと驚かされることもありました。
 一般に、自閉症スペクトラムの人々は、その中心的症状に「コミュニケーションの障害」があるといわれます。しかし、私が参加したセカンドライフ上の自助グループでは、実に雄弁なチャットが交わされていました。仮想世界のアバターとチャットというフィルターを通すと、社会的コミュニケーション障害という見方が嘘のように思えてきます。なにしろ、チャットではいつも議論が噛み合っており、困っている人やストレスがある人には、適切な共感の言葉も投げかけられているのです。
 アバターには表情があまりありません。笑うといっても、大笑いするジェスチャーくらいしかできない。しかしそれは、表情やジェスチャーから会話のニュアンスを拾い上げることが苦手なことが多い自閉圏の人々にとってはかえって好都合なのです。
 よくよく考えてみれば、人の話を聞きながら(聴覚を使い、会話の内容を認知把握しながら)、適時に発話していく(声帯や口腔の筋肉という運動系の神経を使いながら、さまざまな会話のニュアンスや表情などにも対応する)という作業は、たいへん高度なマルチタスクではないでしょうか。自閉圏の人々と交流を深めるまで、私は発話と会話の構造をあまり分析的に考えてこなかったと思い知りました。
 チャットならば聴覚を使う必要もなければ、口腔の筋肉をコーディネートする必要もない。私は、日常のコミュニケーションが、いかに多数派に合わせられているかを思い知りました。Mサイズの洋服しか置いていないお店に近いかもしれません。


 本書では、4人それぞれの人生のなかで、自閉症という知性を持つ人がどのような精神世界を営み、深めているかを追求しています。そのために、仮想空間でのチャットのみならず、メールによる往復書簡、現実世界での長時間にわたる対面インタビューなど、実にさまざまな方法をとっています。時には、彼らの創造したデジタルアートやマンガをはさんで話し込むこともありました。
 「自閉症的な知性はこれだ」という平均値を紹介することが、本書の目的ではありません。医療や福祉の観点で語るものでもありません。
 脳の多様性や個性とは何か?
 私たちは世界をどう感じているのか?
 意識とは何だろうか?
 本書で探し求めたのは、こうした普遍的な問題に対する手がかりです。ですから、自閉症を「知性」のひとつと位置づけたわけです。そんな私の旅に、お付き合いいただければ幸いです。

(了)

本記事は、小社から刊行した池上英子著『自閉症という知性』より一部を抜粋し、再構成したものです。

プロフィール

池上英子(いけがみ・えいこ)

ニュー・スクール大学大学院社会学部Walter A. Eberstadt記念講座教授、プリンストン高等研究所研究員。専門は歴史社会学、ネットワーク論。ニューヨーク在住。お茶の水女子大学文国文学科卒業。日本経済新聞社勤務を経て、筑波大学大学院地域研究科修士課程を修了、ハーバード大学社会学部博士課程へと進む。Ph.D.。イェール大学社会学部准教授を経て、現職。著書に『名誉と順応』『美と礼節の絆』『ハイパーワールド』(いずれもNTT出版)など。