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インタビュー

3年ぶりのオリジナル絵本刊行
作品に込めた思いとは
荒井良二(絵本作家)

最終更新日 2019.09.17

聞き手=編集部

3年ぶりとなるオリジナル絵本『きょうのぼくはどこまでだってはしれるよ』を刊行した世界的な絵本作家・荒井良二さん。本作の誕生秘話から絵本を作ることへの思いまで、最前線を走り続ける荒井さんに、今の気持ちなどを聞きました。

『きょうのぼくはどこまでだってはしれるよ』荒井良二


小さな自信や自尊心を思い起こしてほしくて

 どんな絵本にしようかと編集者とふたりで打合せをしているとき、どちらからともなく「小さな祝祭」をテーマにした絵本はどうか、という話になったんです。話し合いを進めるうちにイメージが膨らみ、日々の生活の中にある出来事に対する「おめでとう」の気持ちや、感謝の思いをいろいろ描くことで小さな祝祭を愛でるような本を作りたいと、ふたりが思い描く絵本の姿が一致しました。
 主人公の少年と行動をともにするのを馬にしたのは、2018年の12月に山形で初めて馬に乗る機会があって、すごく感動したからなんです。馬の背中で揺れを感じながら、いつもとは違う目線の高さに「自分のようで自分ではない、まるで大昔の人」になったような気分になって。直感的に、初めて馬に乗った昔の人はこんな気持ちを味わったんじゃないかと思いました。この経験がなかったら、馬を描くことはなかったかもしれません。だって、馬は動きがとても複雑で、描くのが難しい(笑)。だから今作で苦労したのは馬ですね。
 タイトルは最初に決めました。かつて自分が野山を走り回っていた子どもの頃の、「今の自分は世界でいちばん速く走れているんじゃないか」と思えた野性の感覚――例えば、「こんなことができた!」という何気ないちょっとした達成感によって得られる小さな自信や自尊心を、失うことなくおまもりのように持っていてほしいという思いを、タイトルに込めました。皆にとって大したことではなくても、自分にとってすごいと思えることをやれたらそれでいい。本来、この野性的な感覚って誰もが持ち合わせているものなんじゃないかな。それを刺激することで、思い起こしてもらえたらと思ったんです。もしかすると、今作は大人のほうがふと振り返る部分が多いかもしれませんね。
 主人公の少年の被っている帽子がとても大きいのも、実は自信のなさの表れのひとつ。自信がないからこそ、「ここにいるよ」と誰かに伝えるには、存在を強調するために大きな何かがほしい。それがこの帽子に託したイメージであり、ダイレクトに思いをのせたタイトルにもつながっています。よくよく考えると、この少年はかつての自分なのかも(笑)。


©荒井良二


ページをめくるエネルギーを刺激したい

 僕は「子ども向け」と決めこんで絵本は描きません。僕の絵本のスタンスは、大勢の子どもたちに読み聞かせるというよりは、一対一で向き合って読んでもらうようなイメージが近い。「子どものため」というより「隣の人のため」という感覚かな。だからこそ、「誰が読んでも通じるもの」を大切にしています。僕にとっての絵本は開かれた存在なので、大人にも読んでもらいたいと思いますし、子どもが読むからといって子どもだけに向けるような、読者層を限定した絵本の作り方はしないですね。
 絵本において重要なのは、読者がページをめくるエネルギーを刺激することだと僕は思っています。あくまでも絵本は一冊で読ませるもの。一枚一枚を完璧に仕上げたところで、それは画集なようなものになってしまい、絵本としては意味がない気がする。絵に関していえば、どこかしら「物足りない」と感じるくらいが次につながる余白や余韻としてはちょうどよくて、それが読者の「次のページをめくる」ということにつながるんじゃないかと。
 絵を描くときも、どんどん進ませる感覚を取り入れたくて、なるべく一枚を描き上げるのにかかる時間がどの絵でも同じに仕上げられるようにしています。「この絵だけ特に時間をかける」といったことはせず、トントントンと同じリズムで最初のページから順に描き進めていく。そうすることで、絵を描いている自分自身がライブ感を得られる。読者にページをめくってもらうリズムが必要であって、それを文章や絵でコントロールできるよう細かく計算しています。


生きていればいいことがたくさんある

 日々起こる事件や事故などを見るたびに不安にもなります。でも僕は、人間って生まれたら、与えられた人生をどれだけ豊かにひろげられるか、楽しめるか、何を発見できるか、ということが大切なんじゃないかって思うんです。世の中の不安や危険ばかりを子どもたちに伝えるのが大人の役目ではないはず。生きていればいいこともたくさんあって捨てたものじゃない。そんないろいろな見方を提示したくて、それを絵本に描く。それも、できるだけ言葉でそのまま言うのではなく、別の形で間接的に伝えることができたらいちばんいいなと考えています。
 今作に限らず、僕の絵本にいわゆる起承転結の概念はありません。何かが始まったら、また次に別の何かが始まって……と「起」ばかり(笑)。『きょうのぼくはどこまでだってはしれるよ』というタイトルもそう。ずっと走る続ける少年と、小さな「おめでとう」で世界はいっぱいだよ、ということを繰り返し提示していきたかった。よく考えてみたら、自分の日常は、結論は急がずあえて泳がせておくようにしています。物語も人生も続いていくものだから、常に「起」であり、「はじまり」なんです。
 ふだんワークショップなどでさまざまな人たちと触れ合っていてよく感じることですが、小学校3年生くらいまでは誰だって天才的な発想ができます。そのあたりから大人びた視点がさらに備わって、目覚めていくんです。周りの大人たちに必要なのは、押しつけたり、型にはめたりしないこと。型からにゅうっとはみ出てくるものこそが「個性」であって、子どもたちの発想のオリジナリティーを尊重するほうがいい。
 最近、それが少なくなってきたような気がしていて、人の反応を気にしてしまう子どもが多くなったように感じます。子どもは大人を見て育つから、大人を喜ばせたくてすごく観察して、気を遣っている。そのことに大人が気づいてあげられたらいいのかもしれない。才能は人に計ってもらうものではなく、自分で培っていくもの。仮に周りが褒めてくれないことでも、自分ですごいと思う感覚を持ち続けることが才能になるんじゃないかな。そのことが、『きょうのぼくはどこまでだってはしれるよ』というタイトルの感覚につながっていくのではないか、と。だから、実際は全然速くなくても、世界一でなくてもいいんですよ!

(了)

プロフィール

荒井良二(あらい・りょうじ)

1956 年山形県生まれ。日本大学藝術学部美術学科を卒業後、絵本を作り始める。1999 年に『なぞなぞのたび』でボローニャ国際児童文学図書展特別賞を、2005 年には日本人として初めてアストリッド・リンドグレーン記念文学賞を受賞するなど、国内外で数々の絵本賞を受賞。日本を代表する絵本作家として知られ、海外でもその活動が注目されている。18年まで「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ」の芸術監督を務めるなど、多方面で活動。主な絵本に『たいようオルガン』『あさになったので まどをあけますよ』『ねむりひめ』『チロルくんのりんごの木』『ぼくらのエコー』など。