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連載

「空想居酒屋」 島田雅彦
第3回 臨時居酒屋の極意

最終更新日 2019.06.17

 近頃、巷ではチェアリングなるものが密かに流行っているらしい。気分が赴くまま公園や河原に出かけ、ロケ現場で監督が座るような折りたたみ式の椅子に座り、コーヒーや酒を飲んだり、友人と話し込んだりするという緩やかなアウトドア活動のことだ。「それなら私も昔からやっているぞ」と思ったが、椅子は持ち歩いていなかった。毛氈(もうせん)を敷けば、野点になり、ゴザや段ボールを敷けば、花見か月見になり、段ボールをハウスにすれば、ホームレスになってしまう。だから、わざわざお気に入りの椅子に深々と身を任せ、お気に入りのニッチを探して、そこを自分のリビングルームに見立てようというのだろう。別に立ち飲みでも、公共のベンチを借りてもいいじゃないかと思うが、それだと日常性に埋没してしまうに違いない。
 以前、石巻のアート・フェスティバルを訪れた際、リュックのように背負えるユニットバスを担いで、工事現場や海岸に出向き、「どこでも露天風呂」を実践しているアーティストの活動を知った。定住生活のルーチンである入浴の非日常化を図ったともいえるが、アウトドア思考自体が狩猟、遊牧をしていた頃へのノスタルジーと先祖返りの本能に基づくのだろう。子どもがやたらにバーベキューをしたがるのも、その性癖の表れに違いない。何しろ、バーベキューこそは火を使いこなせるようになった人類が最初に行なった料理であるから、その末裔である私たちはつい先祖の営みを踏襲してみたくなるのだ。
 電磁調理器具やシステムキッチンの利便性をしばし忘れ、野外に出て、青空の下、薪や炭の火を熾し、肉や魚を焼く。ボーイスカウトで培った技術を発揮して、巧みに火おこしする男はたちまちポイントを稼ぎ、一役頼れる男の勲章をゲットする。今まで経験のなかった男も子供ができると遅まきながら、キャンパー・デビューを飾る。デパートには用具の売り場まであって、大枚叩いて一式揃える人もいる。しかし、ブームは加熱しすぎると、すぐに下火になる。張り切り過ぎたキャンパーたちの狼藉も目に余り、もう少しさりげなく、シンプルにアウトドアを楽しもうという向きがチェアリングなどといい出したに違いない。


あなたもチェアリングする?


 去年だったか、講演で高知に出向いた際、仕事をして、料亭で食事をし、翌朝出社する必要もないのにまっすぐ帰るのももったいない気がして、延泊することにした。藁を燃やした火で焼いた、燻製風味のカツオのタタキの分厚い切り身をもう一回食べなければ、後悔するとも思った。翌日は市内で昼飲みという手もあったが、ひろめ市場も屋台ロードもすでに訪れたことがあるので、朝から遠出することにした。四万十流域でサイクリングとも思ったが、あいにくの雨だったので、目的地を室戸岬に変更した。室戸は以前、釣りで訪れたことがあり、生き餌用に鯖とイサキを釣り、カンパチの大物を狙ったが、思うように釣れず、代わりにマダイの大物を釣った思い出がある。その時、覗いた地元の鮮魚店の品揃えが実に豊かで、水族館の魚を直売しているかのようだった。わざわざ荒海に出なくても、この鮮魚店に出向けば、何でも釣れると思ったものだった。ここに行けば、財布を気にせず、海の幸を飽食できると同行の編集者を焚きつけ、高知市内から九十キロ離れた鮮魚店を目指したのだった。
 調味料、調理器具などは一切持っていなかったので、途中、百円ショップに立ち寄り、包丁、トング、軍手、バーベキュー用の網、炭、醤油、オリーブ油、塩などを買っておき、道中、ネットで近隣のキャンプ場情報を検索した。室戸の町から岬に向かう途中に一箇所、キャンプ場があることがわかったが、電話をしても誰も出ない。野外臨時居酒屋開業を思いついたものの、実現が危ぶまれたが、目当ての鮮魚店「浦戸屋」に到着した頃、キャンプ場の管理人に電話が繋がった。「今日は雨だし、平日だし、誰も来ないと思ってたよ。あとで様子見に行くから、勝手にやってていいよ」という融通無碍な対応に感謝し、早速、仕入れを始めた。
 その日は漁がなかったようで、いつもよりは品薄らしかったが、それでも四万十の鮎、近海の飛魚の干物、自家製しめ鯖、刺身用カンパチ、カジキの醤油づけ、オススメの脂の乗った鮭の切り身、そして、その場で藁で炙ってくれるカツオのタタキなどを買い込み、発泡スチロールの箱に詰めてもらった。ざっと十人前はありそうな量だったが、しめ鯖は半身で百五十円、飛魚なんて一枚百二十円という安さなので、恐縮してしまう。
 前に覗いた時は店先にマダイ、キンメダイ、イシダイ、メジナ、コノハダイ、カゴカキダイ、イサキ、ウツボ、アナゴ、カンパチ、ヒラマサ、シマアジ、トコブシ、サザエなどが並び、「ギョギョギョ」とさかなクンみたいに大興奮したものだった。
 途中の酒屋で地酒を買い、誰もいないキャンプ場へ。屋根付きの炊事場で火おこしをし、周囲に生えている蕗(ふき)の葉を採取し、これを皿に活用する。百均の包丁は使い始めなら、切れ味はよく、すぐに刺身盛り合わせの用意ができる。食前酒の缶チューハイ、ドライバーはレモンスカッシュで乾杯、炭火がいい火加減になったところで、鮎、カジキ、鮭、干物を並べ、焼け具合を見ながら、本格的に酒盛りが始まる。焼魚の匂いを嗅ぎつけたトンビが上空を旋回し始めていた。野外での食事は食欲が三割増しになるものの、刺身にも干物にも飽きてきた頃、流しに誰かの忘れ物か、あるいは犬用の食器か、石鍋を見つけたので、それをよく洗い、炭火にかけ、余った干物や刺身を放り込み、昆布茶と塩で味付けし、レモンを絞って、スープにし、紙コップですすった。
 百円ショップと鮮魚店、キャンプ場の組み合わせによって、一日限定野外居酒屋が実現した。食べ残しはほとんどなく、紙コップは燃やし、皿は蕗の葉を使ったので、ゴミはほとんど出なかった。包丁と調味料の残りを詰めた発泡スチロールの箱はキャンプ場で引き取ってくれた。そして、私たちはそのまま空港へ向かったのだった。


高知といえば、やっぱりカツオ


 都内で一日限定野外居酒屋をオープンするのはなかなか難しい。公園でも路上でも火気厳禁のところばかりで、カセットコンロで湯を沸かしただけでも管理人が駆けつけてくる。屋台の営業許可を取るとか、流行りの肉フェスなどにエントリーするとか、方法もあるが、それも面倒臭い。しかし、私有地の中でそれをやるなら誰にも文句はいわれまい。一軒家の住人に頼み、その庭で営業する前提で考えることにする。
 干物や刺身は酒のつまみの王道といっていいが、我らが空想居酒屋ではそれらをどう仕入れるか? 品数豊富な街中の魚屋は数が減っているが、御徒町のアメ横や吉池に行くか、恵比寿駅前の「えびすストア」の「魚キヨ」、世田谷区松原のスーパー・オオゼキに行くか、選択の幅はそれほど広くない。では行きつけの居酒屋に倣い、産地直送の魚貝を仕入れてみよう。ふるさと納税の返礼品も豊富だが、安定供給を優先し、全国各地の漁港のホームページを検索する。島国日本には無数の漁港があり、各地の旬の魚を冷蔵、冷凍で宅配してくれる。魚種を選ぶこともできるが、その日に獲れた魚を雑多に詰め合わせたものが比較的安価で手に入る。実際に境港や唐津の漁港の直売店を覗くと、トロ箱に入った詰め合わせが二千円くらいで買える。それに送料を上乗せされるが、しっかり氷詰めにされているので、翌日には自宅に届く。その日のメニューは箱を開けてから決めればよい。複数の漁港から仕入れれば、北海道、青森、三陸、能登、山陰、九州各地の旬の魚が勢揃いし、刺身なら常時七種類、塩焼や煮付け、カマ焼、カブト焼も供することができる。干物は海外の加工品の輸入が多いが、下田の老舗干物専門店小木曽商店のものがなかなか美味なので、オンラインで仕入れる。
 生魚は三枚に下ろし、骨を抜き、軽く塩をして、吸水シートに包み、余計な水分を抜く。大きなカブトは二つに割り、カマはよく洗い、血抜きをしておく。下準備をした刺身用の生魚と干物は全て保冷袋にしまい、クーラーボックスにはビールや日本酒を入れ、包丁とまな板、調味料一式、七輪と炭、もしくはカセットコンロを用意する。それらはキャスター付きのスーツケースにコンパクトに収納する。これで臨時居酒屋の準備は整った。
 居酒屋店員は忙しい。次々注文の声が飛び、それを板場に伝え、板場で刺身担当、焼き方、揚げ方、ドリンク係、洗い物担当が息つく暇もなく作業を進める。これを一人でやるとなると、千手観音となって、煩雑なオーダーに対応しなければならない。作業効率を上げるには経験を重ねるほかない。オープン・キッチンで腕をふるうシェフや板前の動きを観察するのは楽しい。無駄な動き、迷いは一切なく、右に移動する時はフライパンを返しつつ、焼き物の様子をチェックし、皿を用意する。左に移動しながら、皿に刺身のつまを置き、冷蔵庫から出した魚を切りながら、盛り付け、見栄えを良くしながら、カウンターの客に出す。また右に移動し、炒め物を完成させ、盛り付け、客に出すと身を翻し、冷蔵庫から下味をつけたチキンのぶつ切りを出し、袋に入れて粉をつけ、そのまま油に投じ、タイマーをセットする。といったような作業を滑らかに、空手の演武のように行う。
 臨時居酒屋では誰もそこまでの身のこなしは求めない。基本、店員と客のあいだに敷居はない。七輪やカセットコンロを囲めば、誰もが料理人であり、酔客である。初めて、韓国は釜山を訪れた時、誰もが必ず出かけるジャガルチ市場で韓国式の刺身を食べたが、市場の一角に怪しげな雰囲気のブースがあり、釘付けになった。花札でもやっているのかと思ったら、七輪を囲んで四人の男たちが風呂場にある小さなプラスチックの椅子に腰掛け、干物を焼きながら、焼酎を飲んでいたのだ。各ブースはビニールシートの屋根と廃材の柱で作られていて、薄いベニヤ板で仕切られ、一応、個室になっている。声がかかると、おばさんが焼酎のボトルや追加の干物を持ってくる。
 風呂場の椅子四つと七輪一つのユニットで、ミニマムな個室居酒屋が出現する。私がその現場を見たのはもう二十五年も前だが、自分の居酒屋を持つ計画はこの時、始動したのだった。


七輪は臨時居酒屋の必須アイテム

プロフィール

島田雅彦(しまだ・まさひこ)

1961年、東京都生まれ。作家・法政大学教授。東京外国語大学ロシア語学科卒業。在学中の83年に『優しいサヨクのための嬉遊曲』で注目される。『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞、『彼岸先生』で泉鏡花文学賞、『退廃姉妹』で伊藤整文学賞、『カオスの娘』で芸術選奨文部科学大臣賞、『虚人の星』で毎日出版文化賞を受賞。ほかの著書に『天国が降ってくる』『僕は模造人間』『彗星の住人』『悪貨』『ニッチを探して』『オペラ・シンドローム』など多数。2010年下半期より芥川賞選考委員を務める。