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連載

「空想居酒屋」 島田雅彦
第5回 屋台というハッピー・プレイス

最終更新日 2019.08.15

 昔は治安もよく、地域住民が互いに顔見知りであることの安心もあってか、街をほっつき歩く子どもが今よりたくさんいた。少子化が問題になる以前は、子どもの人口も確かに多かったのだが、外遊びを好む子どもも多かったのだろう。今の子どもは家でゲームか、塾や習い事か、いずれにせよインドア派が多そうだし、物書きなんかより多忙を極めているようで、近所の子どもとコトバを交わす機会はほとんどない。自分が子どもの頃に通った駄菓子屋は何処へ行ったのか、急に気になって、行きつけの居酒屋のある街で子どもの溜まり場の駄菓子屋を探し回ったが、これがなかなか見つからない。一個十円とか二十円の売り上げの駄菓子屋は生活の糧にはなりそうもなく、よほど子ども好きの人か、児童心理の研究とか何か別の目的でもなければ、わざわざ店舗を構えたりはしないだろう。往年の駄菓子屋の役割は現在では、コンビニが兼ねている。実際、ベビースターラーメンやうまい棒、梅ジャム、笛ガムなど古典的駄菓子はコンビニでよく見かけるので、つい買ってしまうのはノスタルジーか? とりわけベビースターラーメンへの偏愛は強く、三重県津市にある工場にも見学に行ったことがある。
 私が二日と空けずに駄菓子屋に通ったのはもう五十年近く昔のことになるが、その記憶は鮮明だ。小学校のそばを流れる川べりにあった矢沢屋は、主に文房具を扱っていたが、駄菓子、玩具、プラモデル、小鳥や金魚なども売っていて、常に地元小学校の放課後の社交場になっていた。子どもの平均予算は二十円で、子どもの射幸心を煽る一回五円のくじを四回楽しめる。まずカレーあられのくじを引く。ハズレでも紙袋一杯のあられがもらえるので、それを食べながら、次は串刺しカステラや麩菓子、あるいはミシン目の入った平たい箱のクジに挑む。その箱くじは大当たりだと五十円の金券がもらえるので、一ランク上の板チョコやソフトクリーム、コカコーラに手を出すことができるのだった。その駄菓子屋の倉庫にはお古のパチンコ台が置かれていて、小学生は麩菓子やあんずボーを食べながら、いつか本物のパチンコに挑戦する日に想いを馳せながら、真剣に練習を重ねるのだった。
 夕方四時になると、コロッケの香ばしい匂いが蘇るのも、小学生時代の刷り込みだろう。近所の肉屋ではこの時間に揚げたてのコロッケを売り出すので、それを買いに行く。私とそれほど歳も違わない見習い店員が危なかしい手つきでコロッケを揚げてゆくのを店先で眺めながら、熱々のそれを紙に包んでもらい、歩きながら食べる。あのこってりとした味わいは揚げ油にラードがたっぷり溶け込んでいたからだろう。
 赤塚不二夫の『おそ松くん』には常におでんの串を持っているチビ太というキャラクターが登場するが、そのスタイルを真似て、おでんを買い食いするのが流行っていた。肉屋のそばの長崎ちゃんぽんの店頭でおでんを買うと、串にボール、こんにゃく、ちくわ、玉子などを刺して、手渡ししてくれた。それを風に当てて、冷ましながら食べるのが冬の楽しみだった。


駄菓子屋は、いまや絶滅危惧種か?


 もつ焼の味を覚えたのも小学生の時だった。よく父が油紙に入ったもつ焼を土産に買ってきたので、部位ごとの味は知っていたが、屋台で焼きたてを買ってその場で食べたほうがうまいに決まっているし、またそうすることで大人に一歩近づいた気がしたものだった。
 小六の頃、ヒット曲「神田川」の影響だったか、同級生とつるんで銭湯に行くのが流行ったが、湯上りに屋台でレバーとシロを一本ずつ買い、その場で大人と一緒に食べる楽しみの方が優っていた。モツを焼く店主が「坊や、悪いけど、ハイライト一箱買ってきてくれないか」と頼まれ、買ってくると駄賃がわりにもう一本手渡されたりした。甘辛のタレの味がすっかり病みつきになってしまい、私はもつ焼を店頭で焼いている店を自転車でくまなく回り、食べ較べまでしていた。のちのはしご酒の素地はこの時にできたのかもしれない。何軒か食べ歩いた中で最も非日常的な場所は多摩川の河川敷にあった「たぬきや」である。貸しボート屋を兼ねた居酒屋なのだが、対岸にある京王閣競輪の開催日はギャンブラーたちで大いに賑わっていた。マニアックなドリンカーが好んで訪れそうなそうしたニッチ居酒屋に、私は子どもの頃から出没していたのである。大人になってから、何度か「たぬきや」を再訪したが、その佇まいは全く変わっていなかった。河川敷には仮設の小屋しか建ててはいけないらしく、廃材とトタン板でできた粗末な店はそこにいるだけでキャンプ気分に浸れた。私はここの味噌田楽が好きだったが、マニアに惜しまれつつ閉店してしまったようだ。
 小学生が自分の小遣いでできる外食はその程度のものだったが、夏祭や縁日になると、そのバリエーションと予算が増え、焼きそば、焼とうもろこし、たこ焼、イカ焼、あんず飴、ソース煎餅、アメリカンドッグと目移りするほどだった。このように幼い頃の外食経験の積み重ねによって、人の味覚と嗜好は決まってゆくに違いない。アメリカ人にとっての「三種の神器」であるホットドッグ、ピッツァ、ハンバーガーはどれもが屋台で食べられ、また幼い頃から食べ続けるメニューとなるだろうし、ドイツならカレーソーセージ、韓国ならチヂミやトッポギ、ロシアならペリメニやピロシキということになるのだろう。


焼きそばと焼き鳥のない夏祭はありえない


 一連の買い食い経験は大学生になると、提供者の側に回る。学園祭の模擬店がそれだ。サークルや同好会の資金稼ぎにもなるので、学生たちは保健局に届け出をしたりして、焼そば、たこ焼、お好み焼、牛丼、豚汁、チュロス、チョコバナナなどの趣向を凝らした屋台を出す。後々の失業対策をも兼ねられると考えてか、やけに熱心に取り組んでいる。十五、六年前まで勤めていた近畿大学では学園祭シーズンでなくとも、キャンパスにはたこ焼や焼きそばの屋台が出ていて、さすが粉物の聖地大阪だけのことはあると思った。ちなみに最寄り駅から大学までの商店街に何軒の粉物関係の店があるか、数えてみたら、十一軒あった。ランチにはお好み焼にご飯と味噌汁がつく定食もあり、週に五回粉物を食べるというのは都市伝説ではないことが確かめられた。
 模擬店経験を積んでおけば、空想居酒屋開店のショートカットになるのは確実である。私が通った東京外国語大学では一年生がカルチュラル・スタディの初級編として、専攻学科ごとに各国料理を提供する模擬店を出す。私が所属していたロシア語学科では、渋谷のロシア料理の老舗「ロゴスキー」と提携し、ピロシキやボルシチ、ビーフ・ストロガノフなどを出していた。学園祭の時だけキャンパスにフランチャイズ店ができるようなものだった。私がタイ料理やペルシャ料理を初めて食べたのも学園祭の模擬店だった。ココナツ風味でナスが入っているグリーン・カレーを見て、一瞬怯んだ記憶が懐かしい。
 東南アジアは屋台料理が多彩で、三食を屋台で済ませる人も多い。自炊の方が高くつくという事情もあるが、屋台料理のクオリティが極めて高いので、ほとんど家のキッチンは無用なのである。ベトナム人は朝食にフォーを食べることが多いようだが、私も一時期、これにはまった。トロントに滞在していた頃、朝からダウンタウンにあるベトナム人街に繰り出し、フォーやバインミーの朝食を食べた。ザルにはすでに茹で上がっているライス・ヌードルが用意されていて、小ぶりのボールに麺と薄味のスープを入れ、様々なトッピングをし、ハーブ各種と唐辛子、生のもやし、ライムを載せた小皿を添える。味付けはテーブルの調味料で調節する。ベトナムの古都フエにはやや辛いご当地フォーがあるが、この店の看板娘があまりに可愛いので、二日続けて通い、計四杯食べたのは三十代半ば頃だったか。マレーシアのマラッカの屋台で食べた肉骨茶も忘れ難い。豚のスペアリブを数種類の香辛料とともに薄い塩味で煮たスープを文字通り茶のようにすする。疲れている時にこれを食べると、滋養が血管に浸透した気さえしてくる。
 数々の屋台を見てきて感心するのは、調理インフラは極めて低くても、絶品を供してくれる心意気である。カセットコンロ一つと中華鍋一つで手際良く、二十種類ものメニューを一人でこなす隠れた名シェフがいる。タイ料理に関していえば、ナンプラー、砂糖、酢、唐辛子、生姜、ニンニク、ライムを目分量で混ぜた調味料が基本で、ソムタム(青パパイヤのサラダ)、ヤムヌア(牛肉のサラダ)、ヤムウンセン(春雨のサラダ)といった定番は全てカバーできる。これにレモングラス、コリアンダー、バイマックルー(コブミカンの葉)、ピッキーヌ(激辛唐辛子)、そしてココナッツミルクの風味が加われば、スープやカレー、炒め物まで思いのままだ。ただ、味付けには個人差があって、同じメニューでも微妙に調味料の配合が違うので、いつ行っても同じ味というわけではないところがいい。
 近場では新大久保に「バーン・タム」という店があるが、ここのシェフのタムさんは仙人風の出で立ちで一人静かに厨房に座っている。客席からは瞑想でもしているように見えるのだが、カウンターで隠れた手元は動いていて、無駄な動き一つなくいつも満席の店内から続々入るオーダーを黙々とさばいてゆく。アジアの屋台にはこういう人材がまだ、あまた潜んでいると思われる。空想居酒屋に是非スカウトしたいところだが、拉致してくるわけにもいかないので、そのレシピやノウハウを実地で見て、盗み出すほかないようである。ちなみに料理のレシピに著作権は適用されない。


タイの屋台は、一店舗でいくつもメニューを扱う

プロフィール

島田雅彦(しまだ・まさひこ)

1961年、東京都生まれ。作家・法政大学教授。東京外国語大学ロシア語学科卒業。在学中の83年に『優しいサヨクのための嬉遊曲』で注目される。『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞、『彼岸先生』で泉鏡花文学賞、『退廃姉妹』で伊藤整文学賞、『カオスの娘』で芸術選奨文部科学大臣賞、『虚人の星』で毎日出版文化賞を受賞。ほかの著書に『天国が降ってくる』『僕は模造人間』『彗星の住人』『悪貨』『ニッチを探して』『オペラ・シンドローム』など多数。2010年下半期より芥川賞選考委員を務める。