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連載

「空想居酒屋」 島田雅彦
第7回 空想「鍋フェス」

最終更新日 2019.10.15

 総武線に平井という地味な駅があり、過去に一度しか下車したことがないのだが、「豊田屋」という居酒屋を詣でるのが目的だった。ここは鍋物が名物で、どの客の目の前にもコンロがあり、湯気が立っていた。アン肝や白子がたっぷり入った鍋が人気らしく、私も肝入りのアンコウ鍋と刺身を二種類、注文した。
 まもなく具がてんこ盛りの金属の鍋が出てきた。アンコウも肝もたっぷり入っているので、連れに遠慮する必要はなく、むしろがっついて食べなければなかなか減らないボリュームだった。ネタは新鮮で、臭みもなく、汁も甘過ぎず、から過ぎず、酒が進む味付けだった。意外とあっけなく腹に収まった後、まだ胃袋に余裕があり、何を追加注文しようかメニューを眺めていた。こんな時、常連客はどうするのか、店内の様子を伺うと、別の鍋を追加注文している人が多いことに気づいた。アンコウ鍋や白子鍋を前菜にし、メインに牛鍋やカモ鍋を食べるという型破りを平然とやってのけている。確かに鍋物は一種類しか食べてはいけないという掟はなく、ただ何となく、「大食い選手権じゃないんだから、ダブル鍋はやめておこう」と思っているだけである。私は常連客に鼓舞されるように、カモ鍋を追加し、四杯目の酒も注文した。
 ダブル鍋がOKとなれば、どの鍋にしようか迷ったり、選択を後悔したりする必要がなくなり、アンコウとカモ、白子と牛肉といった合わせ技の妙だけを考えればよいということになる。「豊田屋」で二回目の鍋として最も人気があるのはカモ鍋だが、これは琵琶湖名物でもある。シベリアから越冬のために飛来したマガモを使ったカモ鍋は首から腰にかけての骨と軟骨を砕いてミンチにし、醤油味のだしに加えることで旨味を凝縮させる独特の方法を取る。この骨ダンゴも食べられるが、胸や腿、内臓の肉で充分かもしれない。たっぷりだしを含んだ青葱、芹、焼き豆腐もいいが、しめのカモ汁そばがまた絶品だった。カモ肉は処理する際にあえて血抜きをせず、血を旨味の素にする。以前、中華の名店でカモの血鍋というのを食べたことがあるが、まさに血のソーセージ「ブーダンノワール」を思い出させる濃厚で甘いシチューになっていた。


カモ鍋に葱は欠かせない


 夏が十月の半ばまで続く昨今の東京だが、ある日を境に急に冷え込むので、突然、鍋物が食べたくなる。鍋料理にも数多くのバリエーションがあり、また地域差やお国柄がよく出る。味付けも水炊き、醤油味、味噌味、麻辣味、ヤンニョム味、カレー味など多彩だし、具も野菜、肉、魚貝、加工食品、ゲテモノ、入れてはいけないものなどないという懐の深さがある。また調理にかかる手間もあまりかからず、素材を切って、鍋に放り込むだけだし、カセットコンロと鍋があれば、何処ででもできる。多くの具材を一度に摂取できるので栄養価も高く、スープ、メイン、締めが一つの鍋の中で完結するところはラーメンと並んで「オールインワン料理」の代表といえる。
 相撲部屋では食事全般を「ちゃんこ」と呼ぶが、伝統的に鍋物はその中心を占める。国技館のある両国には「ちゃんこ」の店が集まっているが、その老舗の「川崎」では醤油味の「鶏鍋」を出す。これもあっさりしていて悪くないが、やはり鶏鍋といえば、白濁した濃厚なスープが売りの博多名物「鶏の水炊き」には敵わない。鶏ガラや手羽先を何羽分も大鍋に入れ、最初に入れた水が半分になるまで強火で煮出すこと約八時間でようやく出来上がるという代物で、これを家庭で作るのはなかなか難しい。このスープさえ手に入れば、腿肉や胸肉はもちろん、白菜や餅を煮ても、うまくなるに決まっている。韓国のタッカンマリや参鶏湯(サムゲタン)は「鶏の水炊き」の丸鶏バージョンということができる。こちらも特別仕様のスープで丸鶏を煮るレシピの店のものがうまい。参鶏湯には朝鮮人参やクコの実、棗(ナツメ)、ニンニク、その他の漢方素材の風味がスープに溶け出し、丸鶏の腹にはもち米が詰め込んである。
 ニューヨークで暮らしていた頃、よくスーパーで鶏ガラを買い、チキンストックを作っていた。食肉加工の技術が雑な分、ガラにも肉が結構ついており、六羽分のパッケージで二ドルもしなかったので、貧乏暮らしの身にはありがたかった。肉はこそいでサラダやバンバンジーにし、そのスープにマッシュルームを加えて炊いたチキンライスを常食にしていた。もう少し贅沢をしたい時は丸鶏と豚の肩ロース、そして金華ハムを大鍋に入れ、沸騰させないよう弱火で六時間ほど煮て、清湯スープを作った。これは中華料理でフカヒレやアワビを煮る際にも用いる万能のだしとなる。もちろん、鍋物のスープにも応用できる。
 中華の鍋料理の代表といえば、重慶火鍋だろう。近頃は池袋の新中華街などでよく目にするが、一度この洗礼を受けると、病みつきになってしまう。鶏ガラやもみじなどから取ったスープには山椒、生姜、唐辛子のほかにも香辛料が大量に混じっていて、表面には真っ赤に色づいた牛脂が浮かんでいる。肉、野菜、豆腐、湯葉などの具材のほかにドジョウ、豚の脳みそや牛の食道などの風変わりな食材もふんだんに投入し、ニンニク入りのごま油に浸して食べるのだが、やがて舌が麻痺し、額から汗が吹き出てくる。重慶に出かけた折、土産にインスタントの火鍋の素を買って帰ったが、これは日本のカレールーくらい多くの銘柄があった。初めて火鍋を食べたのは四川省の成都だったが、あまりの辛さに辟易し、この辛さを消し去るいい方法はないのかと店員に泣きつくと、「もっと辛いものを食べれば、今の辛さは忘れる」と過酷な答えが返ってきたのをよく覚えている。また別の機会に上海の路地裏にある火鍋屋で夜食を取ることになったが、路上のテーブルに案内され、鍋をつつくすぐ脇をバイクが通り過ぎるというようなこともあった。


「世界一辛い鍋」と言われる重慶火鍋


 激辛の火鍋と較べれば、概して日本の鍋物は淡泊で薄味だ。あっさり鍋の極を湯豆腐に置くと、ポン酢で食べるフグちりやタラちりがそれに続く。魚貝メインの鍋はバリエーションが豊かで、その最高峰はやはりクエ鍋であろう。滅多に釣れる魚ではないが、脂とゼラチン質をタップリと蓄えたその身は悶絶するほどの美味である。唇が分厚く、醜いハタ科の魚は総じて、鍋向きで、新鮮なものはアンコウと同様、内臓に滋味がある。近頃はブリのしゃぶしゃぶも人気だが、昆布だしにくぐらせて食べる分にはどんな魚でもよく、タイ、ヒラメ、寒サバやイワシ、イカなどを刺身で食べ、飽きたら、しゃぶしゃぶにするという手がある。変わったところでは北海タコやアワビのしゃぶしゃぶというのがある。前者は冬の稚内の名物で、スレンダー美女のふくらはぎくらいあるタコの脚を半分凍らせて、薄くスライスし、レタスとともに昆布だしにくぐらせ、甘めのポン酢で食べる。アワビも薄切りの場合はキモを叩いて、醤油やポン酢と合わせ、一味唐辛子を入れたタレにつけて食べると、絶品である。食感が似ているエリンギを薄くスライスし、一緒に食べれば、アワビの量が増えたように錯覚できる。生のワカメやめかぶが手に入れば、しゃぶしゃぶにして食べるのもお勧めである。湯に入れた途端、鮮やかな緑色に変わるので、視覚的にも楽しい。しかし、ぬるっとしためかぶは箸で摑んでもすぐに逃げるので、食卓では大騒ぎになるだろう。 豚しゃぶはおそらく最も家庭にも普及した鍋物だろう。ダイエットのつもりで毎日豚しゃぶを食べているという知り合いもいる。ニンニクと生姜のかけらを入れた湯に豚肉の薄切りとたっぷりのエノキ、ネギ、ニラを入れるシンプルなものだが、いくら好物だとはいえ、毎日食べるのは飽きるだろう。その人はポン酢、そばつゆ、ゴマだれ、麻辣だれと毎回、味を変えているというので、鍋にカレールーを一つ入れれば、カレーしゃぶしゃぶになると入れ知恵した。
 瀬戸内寂聴さんから京都の「大市」でスッポン鍋をおごってもらったことがあるが、あれを越えるスッポン鍋はまだ食べたことがない。轟音を立てるコークスの火にかけ、分厚い土鍋の底が真っ赤になった状態で銅製の覆いとともにテーブルに供されるのだが、煮えたぎるスープの中にはスッポンの切り身しか入っていない。余計なものを一切入れず、ひたすら客にスッポンを食べさせるのだ。たちまち体温が上がり、汗をかく。もちろんしめは雑炊なのだが、強壮の素になるエキスが溶け込んだスープの味を思い出すだけでも目が充血してくる。家でもスッポン鍋を食べてみたいと思い、上野のアメ横の地下街にスッポンを買いに行ったことがある。自分で下ろすのは嫌なので、店の人に頼んだが、血の焼酎割りのショットグラスが六杯サービスでついていて、その場で全部飲む羽目になった。甲羅とともに切り身を持ち帰り、内臓は刺身で食べ、身は土鍋で煮て、焼きネギを脇役にしたが、「大市」のだしには全く及ばなかった。
 冬の間、相撲部屋のように一日置きに鍋物をしていたのは、まだ息子が家にいる頃だった。家族が減ると、鍋物の頻度は減るが、一人鍋というジャンルもあるので、懲りずにそのバリエーションを増やしている。近頃は肉も魚貝も入れない菜食者用の鍋を色々試している。キノコだけを何種類も醤油味のスープで煮るキノコ鍋、小松菜と油揚げをたっぷりの酒と醤油だけで煮る精進鍋、湯葉と麩を肉に見立てた擬制鍋、豆もやしだけを薄味のだしでじっくり煮たもやし鍋などは二日酔いの日、食欲がない日でも食べられた。
 山形の秋の名物「芋煮」も鍋物の一種で、大鍋に牛肉と里芋をメインの具にして醤油と砂糖で甘辛く煮たのを河川敷などに集まった人々が一斉に頬張る秋祭りである。空想居酒屋では「芋煮」の進化形としての、「鍋フェス」を提案する。ある秋日和に、公園や河川敷にカセットコンロを七つ並べて、大きな輪を作り、七種類の鍋を用意する。その内訳はしゃぶしゃぶ用鍋二、肉用、魚貝用で分ける。濃い目の醤油味のスープを張った鍋は鴨や豚やスッポンを煮るのに使い、味噌味のスープを張った四番目以降の鍋には肉も魚貝も雑多に入れる。五番目の鍋は火鍋の麻辣スープ、六番目の鍋にはカレー味がついている。そして、七番目の鍋は闇鍋で味付けも不明、何が入っているかわからず、また何を入れてもよいことになっている。集まった人々は好みの鍋の近くに陣取り、各コーナーのポリシーには従うものの、食べたい具材を自由に食らう。飽きたら、また別の鍋に移動する。この方式なら「豊田屋」の「ダブル鍋」を越える「トリプル鍋」、「マルチ鍋」が可能になる。


「鍋フェス」実現に向けて(写真は、山形・日本一の芋煮会フェスティバル)

プロフィール

島田雅彦(しまだ・まさひこ)

1961年、東京都生まれ。作家・法政大学教授。東京外国語大学ロシア語学科卒業。在学中の83年に『優しいサヨクのための嬉遊曲』で注目される。『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞、『彼岸先生』で泉鏡花文学賞、『退廃姉妹』で伊藤整文学賞、『カオスの娘』で芸術選奨文部科学大臣賞、『虚人の星』で毎日出版文化賞を受賞。ほかの著書に『天国が降ってくる』『僕は模造人間』『彗星の住人』『悪貨』『ニッチを探して』『オペラ・シンドローム』など多数。2010年下半期より芥川賞選考委員を務める。