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連載

「空想居酒屋」 島田雅彦
第8回 空想居酒屋の「炊き出し」

最終更新日 2019.11.15

 消費増税を受け、個人商店のみならず、チェーンのレストラン、居酒屋の閉店が加速していると聞く。給料が上がったのは公務員だけで、最低賃金も上がらないし、負のスパイラルから抜け出せそうな気配が全く感じられない昨今、食事や飲酒のスタイルも徐々に貧乏くさくなっている気がしてならない。それをある程度見越した上で、空想居酒屋の構想を練っているのだが、実際にそれが路上に出現する可能性が一気に高まったかもしれない。
 少し前まではチェーンの居酒屋や串カツ店、ファミレス、王将、日高屋、幸楽苑といった大衆中華料理店で飲むのが、長期デフレ時代の「身の丈に合った」飲み方だった。だが、ランチに千円払うのが痛い、ほろ酔いに二千円は出せないといった層が拡大するにつれ、チェーン飲食店の経営も厳しくなった。コアな客層を繋ぎ止めるためには値上げはできないし、消費増税や原料コストの高騰にも対応しなければならない。その結果として、賃金も上げられず、雇用を削減し、サービスが低下するという負のスパイラルに陥る。
 個人経営の居酒屋、レストラン経営の厳しさはいわずもがなである。何とか常連客の愛顧に応えているところは、自宅と店舗を兼ねる職住一体型ゆえテナント料がかからないか、家族経営で人件費を削減できるか、趣味と奉仕の心意気を持っているかだろう。まさにギリギリの攻防戦を展開しているのである。


ちょい飲み・せんべろの危機との声もよく聞く


 業界利権を貪り、下々を搾取し、富を独占する富裕層は資産の利回りだけでも優雅に暮らせる身分なので、高級寿司店や星付きの割烹、レストランで日常的に飲食している。こちらは震災や戦争や食糧難が起きようと何処吹く風で、「貧乏人はこんなものを食べているのか」と時々、驚くだけだろう。中間層は年に一度か二度、高級店に行き、普段はビブグルマンでコスパ重視のビストロや大衆割烹か、ファミレスに行く。そして、貧困層は給料日にファミレスに行き、普段はコンビニで済ます。だが、イートインは軽減税率の対象外なので、貧乏人は外食するなといわれているも同然という状態だ。貧困は子どもにも波及し、食事を満足に取れない子どものための食堂が各地にできているが、まだ数は少ない。本来は、一機百四十一億円もするポンコツ戦闘機F35Bを数機キャンセルするだけで、各地に子ども食堂を作るだけでなく、台風や地震や原発事故の被災者をケアする避難所の待遇改善もできるはずだが、政府はやる気がないので、その穴埋めをボランティアがやっているのが現状である。
 そこで私は考えた。空想居酒屋が現実に出現することになれば、子ども食堂を併設することもできるし、避難所のそばに臨時で作れば、被災は避難者にも食事を提供できるだろう、と。そのためにより具体的なマニュアルを作る必要がある。この秋の台風被害の際も政府の対応の遅れが問題となったが、体育館に雑魚寝という避難所のスタイルは全く改善されない。そのことを国会で問題視した森ゆう子議員が比較の例としてあげたのはイタリアの避難所の待遇だった。そこでは仮設のテントが設営され、プライバシーが確保され、ベッド、エアコン完備、食事も徐々に改善され、最後はシェフが登場し、ワイン付きのフルコースが振る舞われた、と紹介された。調べると、ポピュリストの代名詞ともいえるイタリアのベルルスコーニがラクイラ地震の際に公費で手厚く保護することを被災者に公約したようである。数々のスキャンダルにまみれ、国民の軽蔑の的だったが、こうした対策を人気取りの一環として講じていた。
 空想居酒屋実現のハードルは極めて低い。カセットコンロとテフロン加工のフライパンがあれば、そこはもう居酒屋、というのが売り文句なので、誰でも、いつでも、何処でも始められる。料金を取れば、商売だが、無料にすれば、炊き出しになる。都内各所では曜日ごと、時間ごとにホームレス支援の団体や教会が定期的に炊き出しを行っていて、それを巡回していれば、かろうじて食べつなぎぐことができそうだ。例えば、月曜日の九時半に麹町の聖イグナチオ教会に行けば、礼拝の後、カレーとコーヒーが、十一時半に隅田川の桜橋に行くと、うどんが、水曜日六時に新宿の虹インマヌエル教会ではハヤシライス、毎朝五時半に渋谷宮下公園の階段下に行けば、おにぎり二個の配給が受けられる。ほかにもカレーや味噌汁のぶっかけ、弁当、サンドイッチなどが食べられる場所もある。炊き出しに依存した場合、炭水化物中心の食生活になる。
 おにぎりやパンに偏るといわれる被災地の配給だが、暖かい食べ物が供されるとありがたみが倍増するはずだ。自衛隊の炊き出しではカレーがよく知られているが、大鍋でカレーや味噌汁を煮るのが炊き出しの基本パターンとなる。前回、鍋物の饗宴を提案したが、それこそカセットコンロの上に大鍋をセットし、何種類かのスープを注ぎ、野菜や肉、魚貝をセルフで煮て食べれば、何処でも巡業中の相撲部屋の食事状態になるだろう。鍋物は野菜も豊富に摂取でき、理想的な栄養のバランスの食事になる。大鍋に油を注ぎ、鶏の唐揚げや野菜の天ぷらを次々と揚げれば、大人数の食事も対応できる。また、大きなバーベキュー・コンロに薪や炭の火を熾しておけば、魚や肉、野菜を勝手に焼いて、食べることもできる。実際、客が炭火を借りてセルフでやきとりを焼く居酒屋もあるし、青森のストーブ列車では乗客がだるまストーブの上であたりめを焼いている。


ボランティアによる豚汁の炊き出しがありがたい


 カレーといえば、在日本のインド大使館は阪神淡路大震災の時以来、大きな災害に見舞われると、カレーの炊き出しを行う。大使館員の中に伝統のカレー作りに長けた人も少なくないのだろう。私もコルカタで屋台のカレーを食べたことがあるが、文字通り、いつでも何処でも作れるものであることを確認した。被災地では地面で廃材などを燃やし、土器を火にくべ、油を入れ、材料の鶏肉やタマネギやニンニク、香辛料、調味料を入れ、焦げ付かないように長い木杓子でひたすらかき混ぜる。油で煮る感覚である。屋台ではそうして作ったカレーをやはり素焼きのポットに入れてテイクアウトする。おにぎりとパンの食事に飽き飽きしていた被災者はこの本格インドカレーの炊き出しに行列を作った。
 『聖者たちの食卓』という映画がある。インドはパンジャビ地方のシーク教徒の総本山「黄金寺院」では、そこを訪れる巡礼者や旅行者たちのために毎日十万食の無料の食事を施す。調理や片付けをするのは、全てボランティアで、完全なる分業制が敷かれている。ニンニクやタマネギを刻む係、チャパティを練る係、整形する係、焼く係、大鍋で素材を煮る係、配膳係、食器洗い係などが黙々と働く中、大講堂に続々と巡礼の老若男女たちが入ってきて、行儀よくその食事を平らげてゆく。映画は一切の解説もなく、ただ淡々とその圧巻の食事風景を映し出す。ただ、それだけの映画なのだが、妙に心を打つのはなぜだろう。自分もいつかその食事にあやかりたいと、思わず「黄金寺院」への行き方を調べてしまった。


「黄金寺院」では差別なく誰にでも食事が供される


 日本が最も飢餓に晒されていた時代といえば、それは終戦後の二年間であろう。配給制は戦時中から始まったが、戦後の食糧難は深刻で、配給食糧だけでは足りず、闇で配給切符を手に入れるか、闇市で仕入れるほかなかった。トンボの佃煮やゲンゴロウの天ぷら、たんぽぽのおひたし、トカゲの塩焼などを口にする人もいたらしい。公園の花壇には麦やキャベツが植えられ、日比谷公園は日比谷農園に変わり、川の土手や線路脇にはトウモロコシが植えられ、競馬場も広大な芋畑に変わり、庭には油を取るためのヒマワリが植えられていた。闇市では米軍御用達の売店や外国人専用食堂から出る栄養価の高い生ゴミの争奪戦が行われていた。バケツに集められた残飯から煙草の吸い殻やマッチ棒、鼻をかんだ紙なども混じっていたが、食べ残したステーキの肉片やハム、歯型のついたチーズ、鶏の皮や豚の背脂やあばら骨、魚の頭、ジャガイモの皮、リンゴの芯などが入っている。料理人がそれらを大鍋にぶち込み、じっくりと煮込むと、食欲をそそるシチューに再生された。闇市ではこうした再生シチューが定番のすいとんややきめしなどよりも人気があったらしい。
 そんな食糧難を乗り越えた私の両親の世代はすき焼や豚カツが食卓に並んでいるのを見ては、感慨深そうに「こういうものが普通に食べられるようになったんだねえ」と呟いていた。敗戦から二十五年経過し、七〇年代に入ると、「飽食の時代」というフレーズが登場した。それから三十年くらいは「飽食の時代」が続いたが、世紀が変わると、にわかに粗食への回帰が謳われるようになった。戦時下、終戦直後の「飢餓の時代」が再び巡ってくるとは思いたくないが、政治が戦前回帰を志向しているということは、悪夢再来の危険がないとはいえない。その時、都内各地の炊き出しが行われているようなところには闇市の屋台が出現しているのだろうか? 空想居酒屋が現実化し、普及すれば、自ずとそのような光景を目の当たりにすることになる。

プロフィール

島田雅彦(しまだ・まさひこ)

1961年、東京都生まれ。作家・法政大学教授。東京外国語大学ロシア語学科卒業。在学中の83年に『優しいサヨクのための嬉遊曲』で注目される。『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞、『彼岸先生』で泉鏡花文学賞、『退廃姉妹』で伊藤整文学賞、『カオスの娘』で芸術選奨文部科学大臣賞、『虚人の星』で毎日出版文化賞を受賞。ほかの著書に『天国が降ってくる』『僕は模造人間』『彗星の住人』『悪貨』『ニッチを探して』『オペラ・シンドローム』など多数。2010年下半期より芥川賞選考委員を務める。