人気・実力を兼ね備えた執筆陣が贈る連載・読み物や豪華インタビューなど、
NHK出版が刊行する書籍(新書・翻訳書・文芸書・教養書)をご紹介するサイトです。

連載

思考入門
“よく考える” ための教室
戸田山和久(文と絵)

第4回 サポートとツッコミについて、
     さらにツッコんでみよう
第4回 サポートとツッコミについて、さらにツッコんでみよう

最終更新日 2019.10.01

そのツッコミ、有効ですか?

 「論理的によく考える・書く・話す」ということを、前回は次のように定義した。

 つねに自分の思考・主張にできるだけ強いサポートを与えることに気を配りながら、思考や文をつなげていくこと

 「強いサポート」というのはなんだったっけ。ツッコミの入れにくいサポートのことだ。で、ツッコむとはどういうことか。サポート部分が成り立つが主張・結論部分は成り立たないケースを指摘することだった。ただし、そのサポートは同語反復であってはならない。同語反復というのは「ほにゃららだからほにゃららだ」という具合に、サポート部分と主張・結論部分が同じになっている場合だ。こういうとき、「サポート部分が成り立つのに主張・結論部分は成り立たないケース」なんてありえない。だからツッコミは入れられない。だけど、ぜんぜん主張をサポートしたことになっていないのは明らか。
 ここまでが前回の復習だ。今回はサポートとツッコミが具体的にどういうことなのかをもうちょっと掘り下げることから始めよう。
 次のやりとりを見てほしい。AくんとBくんの家の近所においしいラーメン屋があって、おじいさんが一人で切り盛りしている。二人ともその店をとてもひいきにしていたとしよう。そこである日の会話。

 A:あのラーメン屋、廃業したぞ。
 B:え、なんで?
 A:さっき通りかかったら、店の扉に「店主体調不良のため3月20日をもって閉店しました」って張り紙がしてあったんだ。
 B:ああ、そうなのか。あそこはうまかったのに、残念だな。

 Bは「なんで?」と尋ねているけど、これはラーメン屋が廃業したのはなぜかを問うているのではない。そのラーメン屋が廃業したとAが判断・主張する、その根拠・理由を尋ねているんだ(と、Aは思った)。つまり、なんでお前はそう思うんだ、と問うているのね。Aに、主張をサポートしろよ、と要求している。それにこたえて、Aは張り紙があったことを根拠としてあげている。最初の発言をサポートしたわけだ。
 こんな風にして、二人して論理的思考をしていると言っていいだろう。で、Bは納得した。Aのあげた理由で十分だ、それで十分に強いサポートになっていますよ、と思った。「3月20日をもって閉店しました」って張り紙がしてあるんなら、廃業したと考えてよかろう、というわけだ。
 ここで、「3月20日で閉店という張り紙があったからといって、廃業したとは限らないぞ、店主の冗談かもしれないじゃないか」とツッコもうと思えばツッコめるということに注意しよう。でもBはそれをしなかった。そういうツッコミもありうるけど、この際は言いっこなしだ、そんなツッコミはヘリクツだ、やりすぎだ、場違いだと判断したわけだね。
 このことからわかるのは次のことだ。サポートが強いというのは、「なるべくツッコミが入らない」ということだと言ったけど、それは「考えられる限りのどんなツッコミも入らない」という意味ではない。その状況で適切な「有効なツッコミ」はない、ということを意味する。で、何が適切で有効なツッコミになるのか、というのはいちがいに決められない。対話の参加者がどういう人か、どういうことがらについて、何を目指して話をしているのか(あるいは考えているのか)に左右される。かりにこの会話がエイプリルフールになされたもので、二人とも店のおやじが冗談好きだということを知っている、という状況なら、さっきのツッコミは適切で有効なツッコミになるかもしれない。
 いっけん、サポートのあるなし、ツッコミが有効か否かが、きっぱりと決まっているように思える数学の世界にも、じつは似たようなことが当てはまる。数学の一部には、こういう流派がある。「しかじかかくかくの条件を満たす数がある」と主張するためには、じっさいにそういう条件を満たす数を見つけ出すか、見つけるための手続きを示すかしないといけない、という流派だ。こういう流派にとっては、「そういう条件を満たす数が存在しないと仮定すると、矛盾が生じる。だから(いくつかは知らないけど)そういう数は存在する」という証明は、証明にならない。その数を見つけたわけではないからだ。
 でも、大部分の数学者は「ないと仮定すると矛盾が生じるからあるんでしょ」という証明(この証明のしかたを「背理法<はいりほう>」という)でも、存在を主張するための十分なサポートになっていると考えている。ということは数学での「サポート」も、相手によりけりだということになる。


サポートが有効かどうかは人によって異なる


根拠が間違っているばあい、どうする?

 さっきの会話の続きを想像してみよう。AとBは話をしながら、くだんのラーメン屋の前を通りかかった。たしかに張り紙がしてある。そこで、読んでみると、「店主体調不良のため3月30日まで閉店します」と書いてあった。おい。廃業してないじゃん。一時休業じゃないか。Aは日にちを間違えた上に、店のおやじが高齢なものだから、てっきり廃業したと思って、「まで」を「をもって」と読み違えていたのだ。
 さてこのとき、Aの主張へのサポートはどうなるだろう。Aの主張は「根拠なし」ということになるんじゃなかろうか。ということは、主張がサポートされたものであるためには、根拠と主張との「サポート関係」にツッコミを入れにくい、だけじゃダメみたいだ。その根拠そのものが正しくないといけない、ということだ。そこで、「強いサポート」の定義を次のように修正しよう。

 「強いサポート」とは、
 (1)主張と証拠の間のサポート関係に適切で有効なツッコミを入れることができず、なおかつ (2)証拠がそれじたい正しい、ようなサポート
 のことである

 これって考えてみれば当たり前のことだよね。正しくない(ことがわかった)根拠を使っても、サポートしたことにはならない。


奈良県ケースと栃木県ケース

 そうすると、主張にサポートがなくなってしまうのは、(1)主張と証拠の間のサポート関係がツッコミどころ満載か、(2)そもそも証拠に挙げられたことがらに間違いが含まれているか、(1)と(2)の両方、という場合になる。
 たとえば、

 ──それ食べちゃダメ!(主張)
 ──なんで?
 ──だって、それベニテングタケでしょ。ベニテングタケって有名なドクキノコだよ。(二つ合わせて証拠)

 「それ」が本当にベニテングタケで、ベニテングタケが本当にドクキノコなら、それを食べちゃダメだろう。だから、この証拠と主張のサポート関係には「適切なツッコミどころ」は(常識的に考えて)ない。でも、「それ」と指さされているキノコが、じつはベニテングタケではなかったなら、食べちゃダメという主張はサポートされていない。これは(2)のケースになる。
 次の例はどうかな。

 ──栃木県の県庁所在地は栃木市だよね。
 ──なんでそう思うの?
 ──だって、青森県の県庁所在地は青森市でしょ。それから、千葉県のは千葉市でしょ。

 この場合、証拠とされているものは、どちらも正しい。青森県庁は青森市にあるし、千葉県庁は千葉市にある。だけど、証拠と主張のサポート関係には「適切なツッコミどころ」がある。青森県の県庁所在地は青森市であることと、千葉県の県庁所在地が千葉市であることから、栃木県の県庁所在地が栃木市であることは「出てこない」からだ。じっさい、栃木県の県庁は宇都宮市にあって、このことじたいが、言われているサポート関係の反例になっている。
 これは、証拠は正しいことを言っているんだけど、サポート関係にツッコミができる場合にあたる。(1)のケースね。


サポートがあることと結論が正しいことは違う

 注意してもらいたいのは、次の場合だ

 ──奈良県の県庁所在地は奈良市だよね。
 ──なんでそう思うの?
 ──だって、青森県の県庁所在地は青森市でしょ。それから、千葉県のは千葉市でしょ。

 奈良県庁は奈良市にあるので、結論として主張されていることがらじたいは間違いではない。でも、証拠として挙げられていることがらはこの結論をちっともサポートしてはいない。ツッコミはこうなる。
 「たしかに、奈良県の県庁所在地はげんに奈良市だけど、そのことと、青森県と千葉県の話は関係がない。青森県の県庁所在地は青森市で、千葉県の県庁所在地が千葉市であって、でも、奈良県の県庁所在地が別の市、たとえば天理市とか桜井市であるといったケースは十分ありうる話だ。じっさい、島根県とか三重県、石川県、愛知県みたいに、県名と県庁所在地の名前が食い違っている県はたくさんあるよ」
 ツッコミとは「反例」があることを指摘すること、つまり「証拠・根拠が成り立っていて、結論・主張が成り立たない場合」があることを指摘する、ということだ。ここで注意しないといけないのは、この「反例」は、現実にある必要はないということだ。現実には、奈良県の県庁所在地が天理市であるような場合はないけれど、「反例がある」というのは、「それなりの理由があって、反例があると考えることができる」という意味だ。反例は頭の中にあればよい。この場合は、県名と県庁所在地の名前が食い違っている県がいろいろある、というのが「それなりの理由」になっている。だから、もし県名と県庁所在地名は同じでなければならないという法律があるなら、県名と県庁所在地の名前が食い違っているケースというのは、法律上「ありえない」ことになり、まともな反例ではなくなる。


4つのケースがぜんぶある

 わかってほしいのは、結論がたまたま当たっているということと、証拠にちゃんとサポートがなされているのは違う、ということだ。次の4つの場合がぜんぶある。

 a) 結論が証拠にサポートされていて、しかも正しい
 b) 結論が証拠にサポートされていたが結果的に正しくなかった
 c) 結論が証拠にサポートされていないのに、たまたま正しい
 d) 結論が証拠にサポートされていず、しかも正しくない

 a)だといいね。b)の典型例は、証拠がちゃんとあるので一時期信じられていたけど、後になってみて間違いだとわかった科学上の仮説だ。たとえば、そうねえ。生物の種は変化しない、というのはどうだろう。その後、進化論が広く受け入れられるようになって、間違いだということがわかった。これは一八世紀まで、科学上の大発見とみなされていた。そしてそれをサポートする証拠もたくさんあった。いろんなかけあわせの実験をしてみても、そう簡単に新種が生じることはなかったからだ。しかし、種は変わらないという説は、進化論にやっつけられた、キリスト教の古くさい迷信みたく扱われることがあるけど、そうじゃないんだ。
 c)は、さっきの奈良県の例だね。こういうのを「まぐれ当たり」という。d)は、栃木県の例。この実例は世の中にあふれている。残念ながら。証拠もなく、おそらく正しくもないことがどれだけ声高に叫ばれているか。ちょっと考えただけで絶望的な気分になるよね。

  • 1
  • 2