死にほんの少し近い場所を見る前の私は、いつも傲慢でまわりの人にいろいろな要求をし、自分だけがこんなにがんばっているのになんだ、というような態度を取っていたと思う。これもまたとても平凡なお話だが、そうだった。
ほんとうに具合が悪いときさえ、こう思っていた。
「もし具合が悪くなかったら、私はきっともっとこういうことをするだろうに!」
でも、それがおかしなからくりだということに気づいた。
今は今しかないし、今のパターンしかない。他の状態とは取り替えられない。今は今のベストをつくすしかない。天気はよく睡眠はばっちりとれていて体の調子は最高であれば、そりゃあベストなパフォーマンスができるかもしれない。でもそれは幻想にすぎない。私にはどちらにしても今目の前にあることしかない。
どこかに、すごくうまくいくようなパターンがあると思い込むのは、記憶のつくる幻に過ぎない。
もっともっと上に、もっといいセッティングで、もっと最高のものを見たい!
そういうふうに思うように、洗脳されてきたんじゃないか?
いいじゃないか、その場のいいことが見つけられれば、生きてるかいもあるっていうものじゃないか。
そう思えたら、風邪だろうが寝不足だろうが失敗しようが、なんでもないと思えるようになった。その日の私はそうだったんだから、しかたない。原因があって改善できるものなら、次回直せばいい。軸を架空の自分ではなく、たとえだめな自分でも今の自分に置くこと。
このあいだ、ずっと家事を手伝ってくれているEちゃんが、
「できれば仕事を一回も休みたくない、でも、なんだか自分のおじさんがもうすぐ死ぬような気がする」と言いだした。
そのときも、私はなにかの仕事の途中で、あまりゆっくり話ができる感じじゃなかったから、昔だったら確実に、
「これ、長い話かなあ、いそいでるのになあ」
と思ったと思う。でも、そのときの私はふっと思い立ってベストをつくすことにした。
「おじさんとEちゃんはどういう関係なの? 仲がいいの?」
と聞いてみたのだった。