バックナンバー

あたたかいもの

 でも自分が動けないそのときは、なにもかもが消えてしまいそうな悲しい気持ちだった。だいたい自分自身が生きているのがやっとくらいにきつい体調だったから、いっそうそう思えたのだと思う。

 朝やっとのことでてきとうにお弁当を作って子どもを送り出すも、自分はなにひとつ食べられない。ふらふらして横になったら、もう起き上がれない。トイレに行くのがやっとだった。
 果物とお水だけで長い午後の時間を過ごして、帰宅した夫の買ってきたものを一口かじるだけ、そんな日々がずっと続いた。外で売っているお惣菜がいかにあぶらっこくてしょっぱいかよくわかった。弱った体がその味を受けつけないのだ。ゆいいつ食べられたのが、近所のタイ料理屋さんのお姉さんが作ってくれたタイ風おかゆだった。

 そんなある朝、へとへとで横たわっていたらなんだかつらくなってきて、だれかの作った優しい味のなにかがどうしても食べたくなった。
 タイ料理屋さんに何度も頼むのも悪いし、それに、今いちばん食べたいものはなにかというと、どう考えても具沢山のお味噌汁なのだと思った。
 自分で作ろうにも、材料を買ってこなくてはならない。でも、少し歩いてもふらふらして病院に行くのがやっとの自分には、いろいろな野菜を買ってくるのはとてもむりだった。夫に頼んで買ってきてもらったとしても、夜、熱が上がってきたら作ることができるかわからなかった。里芋を剥くあいだも立っていられる自信がないような状態だったのだ。
 健康ってすばらしいなあ、いつもなにげなくやっていることが、どんなにすばらしいか…野菜を選んで、刻んで、調理して、お皿を並べて、みんなで食べる。
 その楽しさが果てしなく遠いことに思えた。
 私は多分もうすぐ治るからいいけれど、父にはそんなことをするようになる希望はないんだなあ、そう思うと涙も出てきた。でも、お見舞いに行けないし、行けたらその日はもう全部の体力を使い果たしてしまう、そんなもどかしい頃だった。
 ふっと、群馬のお母さんのけんちん汁の味が浮かんできた。
 とてもあたたかく、遠く、優しいものとして。
 そんなに親しいわけでもないのに、図々しいだろうか。向こうもお店をやっているから忙しいのに、お願いごとをするなんてどうだろうか、そう思った。でも、どうしてもどうしても、あたたかい汁物が恋しかった。
 私はSOSのメールを書いて、けんちん汁を送ってください、とお願いした。
 群馬のお母さんはびっくりしてすぐに送ってくれた。肉じゃがや、おでんや、お漬け物。新鮮な野菜。久しぶりに食卓が華やいだ。


WEBマガジンラインナップ

トップページへ

ページトップへページトップへ

ページトップへ