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概要

恩田陸「太陽の末裔」:変死体、建築家の日誌、行方不明の留学生の手記。日本と南米をつなぎ、古代インカ・マヤ文明の謎と人類の未来を描く、恩田陸待望の長編伝奇小説!

2序章に代わる三つの風景 静かだ。まるで、この世に自分以外誰もいない気がする。 またしても、鼻の先をふっと生々しい匂いがかすめた。 雨の匂い││そして、血の匂い。 菜穂子は、ジャングルの中にいると、しばしば風の中に血の匂いを嗅ぐことがある。 ずっと果物か植物の腐る匂いなのかと思っていたが、いや、これは紛れもなく血の匂いだ、と思う瞬間があるのだ。『ねえ、血の匂いがしない?』 仲良しのジョアナにそう尋ねてみたことがあるが、ジョアナはそばかすだらけの顔できょとんとしていた。 長身のジョアナはアパラチア山脈の麓ふもとで育ち、子供の頃から父親と一緒に狩りをしていたというので、きっと血の匂いが分かると思ったのだが、「ううん」ときっぱり否定されてしまい、それ以降は口に出すのをやめた。 菜穂子がこの国にやってくるまでに抱いていたジャングルのイメージは、暗く鬱う っ蒼そうとしたものだったが、ユカタン半島のジャングルは思っていたよりもずっと明るく、からっとしていた。これなら、自分の郷里のほうがよっぽどジャングルっぽい。 この国のジャングルは不思議だ。 菜穂子は、足を踏み入れる度に思う。 緑は濃く、木々の影も濃密なのに、そのいっぽうで、妙に乾いた雰囲気がある。湿度そのものは日本とそんなに変わらないような気がするのだが。