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概要

恩田陸「太陽の末裔」:変死体、建築家の日誌、行方不明の留学生の手記。日本と南米をつなぎ、古代インカ・マヤ文明の謎と人類の未来を描く、恩田陸待望の長編伝奇小説!

3張らずにはいられなかった。 ユカタン半島は見渡す限りの大平原である。日本ではめったにお目にかかることのない地平線がどこまでも見渡せる。 うちの郷里は四方を山に囲まれた盆地だし、景色も植相も全く異なるのに、なぜこの風景を見て「七夕様」を思い出したのだろう。 じっと目を凝らしていても風景は一向に変わらない。そのせいで分かりにくいが、車はすごいスピードで飛ばしている。百キロ近く出ているのではないか。 隣にいる高橋三等書記官は、長いこと携帯電話で話し込んでいた。菜穂子の件とは別件のようだったので聞き流していたが、相当早口のスペイン語なので、私の語学力ではどちらにせよ細部まで聞き取れなかった。 前に座っているのはがっしりした地元の運転手と、地元の警察官である。 ほんの数日前まで東京で働いていたのに、よもやこんなメンバーでユカタン半島の幹線道路を走ることになるとは、予想だにできなかった。 だが、この感じ。えんえんと続く変化のない風景は、あまりにも情報が少なく、普段ぎっしりと雑多で過剰な情報が詰め込まれ、街角を歩けば次々と膨大な情報が流れ込んでくる生活とは違い、このぽっかりと開けた明るい空虚さ、それでいて不思議と濃密な空虚さ(矛盾した表現だとは分かっているが)に身を委ねていると、過去の景色や遠い声が、不意に生々しく蘇ってくるのだった。 菜穂子の声。