「超常現象」VS「科学」
大里 そういえば、恩田さんがおっしゃっている「あるかもしれない」というのは、どういう意味なんですか。「今の科学で解明できない事実」があるかもしれないのか、それとも、「人智の及ばない不思議な世界」があるかもしれないのか。
恩田 いやいずれは科学で説明がつくんだろうとはやはり思っていますよね。でも、「あったらいいな」かな(笑)。夢ですかね(笑)。きっとあるんだろうとは思う。でも私が生きているうちには、解明されないんだろうな。私には縁がないかもしれない。
さっきも言いましたけど、二元論は嫌いなんですよ。グレーゾーンは必ずある。グレーゾーンこそが人間らしいところなんじゃないか。結局は個人の解釈ですけどね。やわらかい心で生きていきましょう(笑)。
——複数の人間が見たものであれば、いずれは解明できるような気がしますが、一人の人間の固有の体験、固有の感覚に根ざす現象についてはなかなか解明は難しいような気もします。
恩田 それは私たちが人間である以上、無理ですよね。私たちは自分の外には出られない。本当の客観性にはたどりつけないと思うんですけど。
現代科学が、今のところの客観性を担保しているとは思いますが、本当の客観性にたどりつくのは無理な気がします。
大里 私はたぶん、いずれ脳科学で相当説明できるようになると思っています。脳科学で説明つかないことが、ほかの科学の発展で説明できるようになるのではないでしょうか。しかし、そのときには、また我々が想像もしていないような謎が出現しているかもしれない。常に謎は存在しているんじゃないかと。
恩田 もしかしたら、未来はもっとオカルト的な世界になっているかもしれない(笑)。それこそ、霊の存在も実証されちゃって、今から見ると非科学的な世界になっているかも。
大里 今の我々には、想像もつかないような発見や理論の構築が成されていると思いますよ。例えば、古代の人が感知式の自動ドアを見たら、「超常現象」としか思えないはずです。「赤外線」という概念すらなかったわけだから。それと同じように、未来では、新たな理論ができてきて、いわゆる「生まれ変わり」についても説明がついているかもしれないし、そうでないかもしれない。
恩田 大里さん、『超常現象の科学 なぜ人は幽霊が見えるのか』という本は読みました?
大里 読みました、読みました。
恩田 認知科学の話になっていくんですよね。「超常現象」をいかに理解するかということは、結局、「どのように世界を認識しているか」「どのように世界が見えるか」という命題につながっていく。そこから考えていけば、「超常現象」を生物学や医学の視点から分析してもなんら違和感がない。
未知の領域という面では、「超常現象」も、他の研究テーマと同じだから。物理でも生物学でも「未知なるテーマに挑戦する」というのは同じですよ。単なる、「未知の現象」として捉えれば、研究するのは普通のこと。
大里 解明できない謎に挑戦してきたことが科学の歴史だと思うんです。「超常現象」も同じだと思います。「そんなのありえない」と蓋をしてしまったら、それ以上進まない。みずから、進歩の機会を奪っているようなものですよね。不可思議な謎に挑戦することで、生み出される成果があると思うのです。
事実、科学者たちが「超常現象」に対峙することで、今の科学じゃ説明できない「事実」があるらしいという片鱗が浮かび上がってきています。いろいろな仮説や発見も生まれています。つまり、今の科学では説明できない「事実」があるということは、それを説明する新たな理論が発生する素地が、そこにあるということです。その結果、ますます科学は発展していくのではないでしょうか。
謎が難解であればあるほど、そこに挑む価値があり、挑む科学者たちがいる。解明できるかできないかは実は二の次なんです。それらの研究はもしかしたら無駄な努力に終わるかもしれないし……。でも、つぶしてしまってはいけない。科学には、まだいろいろな可能性がありえるということを提示したかったんです。
恩田 うまくまとめていただきました(笑)。
了
(この対談は2014年3月22日、NHK出版で行われたものです)