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特別寄稿

なぜいま、「幕府」を問うのか?
〔前編〕
東島誠

最終更新日 2019.10.15

伝源頼朝像(神護寺蔵)

近年、一般向けの歴史書が何度目かのブームを迎えています。その中で問われないままに終わっている最大の存在「幕府」について、根本から問い直してみましょう。

※本記事は、2019年度に刊行予定のNHKブックス、東島誠『「幕府」とは何か』の内容から一部を抜粋したものです。

歴史学に何が可能か

「歴史学に何が可能か」。これは、二〇一二年、つまり東日本大震災の翌年に與那覇潤と語り合った、雑誌対談のタイトルである。震災後、與那覇が『中国化する日本』(文藝春秋)を出し、私が『〈つながり〉の精神史』(講談社)を出したところで、この対談が実現した。内容的には、第二次大戦後、歴史学の最良の部分が、その時代時代のどのような知の営みとタイアップして展開されたかを中心に、縦横に語り明かしたもので、翌二〇一三年刊行の『日本の起源』(太田出版)には収録されていない、まったく別ヴァージョンの対談原稿だ。本書との関連で言えば、二十世紀後半の中世史研究をリードした佐藤進一の「幕府」研究が、戦後民主主義といかに深く結びついていたかについても、そこで論じている。本書に先行して亜紀書房より刊行される、與那覇潤『歴史がおわるまえに』に再収録されているので、併読いただければ幸いだ。
 ちなみに私は、同対談中で、網野善彦や村井章介を例に、学問がまだ可塑的でありうる二十代に何を経験したか、が歴史家のその後の学問スタイルを決定づける、と論じた。そして私の場合について言えば、一九八九年の東欧革命が決定的であった、とも付け加えた。当時大学四年生であった私にとってそれは、歴史が終わり、歴史が始まる、ということを、身震いするほどの身体感覚で経験した出来事であった。本書『「幕府」とは何か』が刊行される二〇一九年は、その東欧革命から数えて三十年の年に当たる。
 前著『〈つながり〉の精神史』は、與那覇の『中国化する日本』のようなベストセラーとはいささか違った売れ方をした本で、刊行以来、二〇一七年まで、連年で全国の大学入試(小論文・国語)の問題文として採用いただいた。大学入試といっても、日本史でないところがミソで、これから大学で学ぼうとする受験生たちの頭脳を、しばし悩ませることに、ささやかな貢献をすることができた、とは言えるだろう。入試問題に採用されるには、まず何よりも、論理の透明度が高く文章のコントロールが精確であること、加えて小論文の場合には、若い世代の人たちに深く考えてほしいようなテーマ性を持つことが求められるから、歴史学という、いささか後ろ向きの学問でさえも、現代社会において、なおいくらかの有用性はある、という言い方も許されようか。
 ところが、その同じ著者が、今度は「幕府」とは何か、について論じようというのだから、いかにも珍事であり、訝しく思われる向きもあるかもしれない。いったい、いまなぜ「幕府」論なのか、と。そもそも鎌倉幕府や室町幕府の歴史が、小論文の課題になろうはずもない。だったら、他の書き手に任せておけばよいのではないか。そんな声も聞こえてきそうである。
 だが、待ってほしい。私にとっては、「幕府」もまた、若い世代の人たちに深く考えてほしいテーマなのだ。『〈つながり〉の精神史』が本店だとすれば、本書は夜店のようなものだが、夜店は夜店として、著者も読者も大いに楽しむことをモットーとしつつ、本店の志は堅持する、というあたりで、まずは読者のご寛恕をいただきたいと願う。


幕府=悪なのか?

 では早速、開店の準備に取りかかろう。まず注目したいのは「幕府的存在」なる言葉である。
 政治学者三谷太一郎は、十九世紀末に誕生した明治憲法体制を、「幕府的存在」の徹底的排除を標榜しつつも、「幕府的存在」の役割を果しうる非制度的な主体を前提とせざるを得ない構造、として描いた。この場合の「幕府的存在」とは、藩閥、元老であったり、太平洋戦争期であれば大政翼賛会であったりと、要するに、天皇を頂点とする明治憲法体制にとって本来邪魔な、モンスターのような存在であり、伊藤博文はこれを、明確に「覇府(はふ)」と呼んだ。「覇府」とは、儒家思想にあっては「王道」に対する「覇道」「覇権」の府の意であり、後期水戸学の尊王思想が罵倒したのも、この「覇府」、すなわち江戸幕府であった。
 しかしこの比喩は、いかにも倒幕こそが至上課題であった時代の名残で、どう見ても幕府を過大視しすぎであり、幕府イコール悪というイメージに、全面的に乗っかったものだ。江戸幕府だけではない。京都三大祭のひとつである時代祭では、なんと、ついこの間の二〇〇七年にいたるまで、「逆賊」足利尊氏を祖とする時代という理由から、室町時代の行列は出されず、つまり室町幕府の歴史は「なかった」ことにされてきたのだ。
 室町幕府を倒す戦争(戦国時代)、江戸幕府を倒す戦争(幕末維新期)は常に歴史愛好家の人気を集め、近年では鎌倉幕府を倒す戦争(南北朝動乱)にも関心が高まってきている。腐敗した旧システムは倒されて当然、と言うかのごとくに、である。
 しかし、視点を倒幕期から幕府草創期へと転じると、そもそも幕府はなぜ誕生しえたのか。それは単純に、武力において他に勝っていたからではないし、ましてや清和源氏の血を引いていたからでも、征夷大将軍に任命されたからでもない、ということに気づくことになる。言い換えれば、幕府誕生にはどのような正当性があったのか、ということだ。しかもその正当性は、時局の変化とともに次世代の正当性へと更新していかなければ、とうてい保ちえぬものだった。幕府政治には、真摯に時代の要請にこたえるため、時には、近代の産物と思われがちな民主政治や、鋭敏な人権意識さえも必要とされていたのである。幕府=悪という先入観をきれいに洗い流したうえで、歴史を描きなおしてみたい。
 また近年、学界では、鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府の三つ以外にも、六波羅幕府、福原幕府、奥州幕府構想、それに安土幕府というように、さまざまな「幕府」呼称が提唱され、一般にも認知されるようになってきている。それらの学説は果たして妥当なのか、どう捉えるべきなのか、についても、「正当性」を軸に捉えれば、すっきり整理できる。さらに、幕府という語が武家政権の意味で使われるようになるのは後期水戸学以降であり、それ以前にはそうした用例はなかった、とするのが今日の通説だが、じつはこれは完全に間違った説明である。そうした基礎知識も含め、そもそも幕府とは何か、という原点にまで立ち返って説明してみよう。何しろ幕府は、大宝令で「日本」という国号が定まって以降、日本の歴史千三百年の半分以上を占めて存在してきたのである。伝統的な時代区分も、鎌倉時代、室町時代、江戸時代というように、幕府の所在地の変化にしたがって名づけられてきた。幕府の最新事情を知ることは、日本の歴史を新しく書き換えることである、と断言して過言ではないだろう。


歴史学を〈生きた言説〉にするには?

 夜店の開店までに、まだ少し時間があるようだ。そこで、本書をどのようなスタンスで書くつもりなのかについても、意思表明しておこう。私は、勤務大学の公式HPに掲載している「大学院志望者へ一言」の欄で、次のように述べている。

専門分野の研究技法を身につけることはもちろん必要です。それだけでも相当大変です。しかし一方、専門分野に閉じていては決して開けてこない問題意識、着想力というものがあります。これは、しばしば誤解されているように、ただ隣接諸学を応用するだとか、そういうことを意味するのではありません。一つの史料を読むにしても、どこまで想像力を拡げて考えることができるか、そういう経験を皆さんと共有していくことができれば幸いです。

 つまり、究極はテキストを読む力なのだ。私が常々学生に言っているのは、「隣接諸学を応用する」などと考えるな、「隣接諸学によって応用される」学問を目指しなさい、ということである。その研究が〈生きた言説〉たりうるか、がすべてであって、ただ隣接諸学を付け焼刃で援用してみても、それは〈死んだ言説〉でしかない。たとえば、日本史上のある反乱について論じていて、そこにハナ・アーレントの『革命について』を註記するような態度こそが、まさにここで言う〈死んだ言説〉の最たるものだ。そこでアーレントを引いたところで、何も生まれえない。だったら、引くべきではないのである。これに対して、冒頭に挙げた対談記録「歴史学に何が可能か」の場合は、まさにアーレントを〈生きた言説〉として論じたものだ。この懸隔は、いったいどこから来るのだろうか。言い換えれば、歴史学を〈生きた言説〉にするには、具体的にどうすればよいのか。
 まず手始めに、理論 VS 実証の対立構図で思考することをやめる、という一事を実践するだけでも、かなりの程度、目的を達成できるものと思う。なぜなら、真実はただ一つ。本当に史料の読める人は、理論書だって苦も無く読みこなせるし、大学入試問題程度の現代文が理解できない歴史家の史料読解力など、タカが知れているからである。何なら、実証主義者とは史料の読めない人のことを指し、理論家とは理論の不得手な人を指す。そう言い切ってもよいだろう。理論だから、実証だから、他方が読めない、というのは、ゴマカシだ。重要なのは理論か実証かではない。「読める」か「読めない」かなのだ。しなやかな思考のできる多くの人にとって、理論と実証の垣根などない。
 が、にもかかわらず、理論 VS 実証の構図は、この業界にあまりに深く根を張ってしまっているように思われる。「あの人は理論家だから……」などと言う人は、その理論家がまさか自分よりもはるかに史料が読める実証家であっては困る、という心理を告白したも同然である。自らのプライドを傷つけかねないその存在は邪魔であり、見なかったことにしておいた方が、精神衛生上好ましい。だから、自分の居場所を確保するためにも、理論と実証の世界は截然と分けておきたい、となるのだろう。あれは、あっちの側の人の言っていること、というように。
 このように言うと、理論と実証のどちらも必要、そのバランスこそが重要だ、などと、もっともらしく言いだす人も出てきそうである。だが、私の言いたいことはそういうことではない。理論 VS 実証の構図で説明すること、それ自体を否定しているのであって、バランスなどはどうでもよい。
 そして、何より重要な点は、以上の主張が、そもそも私の独創でも独善でもない、ということだ。そろそろ理論 VS 実証の構図で考えることをやめませんか、そう明言したのが、二十世紀を代表する歴史家、『中世的世界の形成』の著者として知られる石母田正である。石母田は、「あれは、あっちの側の人の言っていること」というような態度を、明確に「歴史家たちのすむせまい世界の特殊性」と呼んで批判した。石母田は、実証史家に向かって理論が必要だ、と主張したのではない。理論に拠らずとも分析概念は必要だ、と主張したのである。この分析概念、分析のためのモノサシを、社会科学の巨人マックス・ヴェーバーは「理念型」と呼んだ。

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