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連載

「空想居酒屋」 島田雅彦
第4回 「揚げ物王」はどれだ?

最終更新日 2019.07.16

 揚げ物は健康志向に反する気がするものの、メニューにあると、最低一品は注文せずには気が済まない。高温の油にくぐらせ、水分を適度に蒸発させ、素材の旨味を衣の中に封じ込める揚げ物は、煮物や焼き物、蒸し物では得られない満足感をもたらしてくれる。冷蔵庫に残り物の野菜しかない時でも、天ぷらにすれば、豪華になる。どの店でもメニューを若者の嗜好に合わせようとすれば、揚げ物を充実させなければならない。コンビニのコロッケやメンチ、ハムカツ、唐揚げ、ハンバーガー・ショップのフレンチフライ、屋台のアメリカン・ドッグ、学食のトンカツ、ミックスフライ、居酒屋の串カツ各種など、列挙するだけで胸焼けがしたら、それはもう若くないということかもしれない。空想居酒屋にもよだれを誘う揚げ物メニューを導入するにあたり、全国各地、海外の街角からも香ばしくも油ぎった知恵を導入したいと思う。
 ヨーロッパの海辺の町の定番といえば、イカフライである。小ぶりのヤリイカを輪切りにしたものに強力粉をまぶし、オリーブオイルで揚げただけの至ってシンプルな一品だが、どのレストランのメニューにもある。レモンを絞って、白ワインのお供につまむのだが、小さなエビやカニが混じっていたりして、味のアクセントになる。港近くの大衆食堂ではテイクアウトもやっていて、紙コップにつめたイカフライをポップコーン感覚で互いの口に入れてやるカップルの姿を見かける。もう一つ地中海の揚げ物の名物にオリーブの肉詰めがある。種を抜いたオリーブの空洞に細かくミンチした肉を詰め込み、衣をつけて揚げた、かなり手の込んだ一品だが、立ち飲みの酒場で楊枝に刺したものをつまみながら、食前酒を飲むのが、ヴェネチア滞在中の私の楽しみだった。
 中東の揚げ物の代表といえば、ファラフェルだ。見た目は肉団子っぽいのだが、すり潰したひよこ豆のフライである。揚げ油と香辛料が絶妙な風味を醸しており、単なる豆のフライと侮れない自己主張がある。食後のゲップには香辛料の残り香があり、二度美味しい。
 イスタンブールは地中海と黒海を結ぶ海峡の町だが、中心部にあるガラタ橋のたもとの名物といえば、鯖サンドである。海峡で取れた小ぶりのサバを三枚におろし、大鍋の油の中に投じ、揚がったものをパンに挟む。船の上で調理したそれを受け取った客は、鯖の身とパンを交互にちぎって食べるのだが、ランチにはこれ一つで充分である。ノルウェー産の脂ののった塩鯖を焼いて、パンに挟んで食べてみたことがあるが、これが思いのほかいける。何かを足すとしたら、タマネギのスライスとマヨネーズだろう。
 ヨーロッパの北方の名物といえば、フィッシュ・アンド・チップスだろう。労働者の主食のイメージがあるが、気取ったレストランのメニューにも載っている。北海産のオヒョウを使うことが多いようだが、かなり大きな切り身に、フレンチフライがセットになっているので、食後は胸焼けとの戦いになる。ちなみにチップスとはフレンチフライのことで、薄切りのポテトチップは英語ではクリスプスという。そのフレンチフライを飽きずに食べ切るコツはビネガーをもらっておくことである。ケチャップやマヨネーズはすぐに飽きるが、ビネガーに浸けて食べると、後味もさっぱりする。ところでフレンチフライには形状問題というのがあって、皮なしの細いスティック状か、皮付きの短冊状かを巡る論争にはまだ決着がついていない。皮は土臭いし、雑味があるので無用という人、いや新ジャガなら皮付きでも可という人、スティック状のものは加工品の可能性が高いが、皮付きは正真正銘のジャガイモの証になるという人、それぞれの立場はあるが、それは玄ソバか、更科か、の好みの違いにも似ている。個人的にはアンチョビ味や、ニンニク味、カレー味などを加味するなら皮付き、ビネガー味なら皮なしがいい。ポテトの代わりに大根に粉をつけて揚げた大根フライというのも一部では人気で、先日、さくら水産のメニューにあった。


「鯖サンド」をぜひ一度食べてもらいたい


 鶏の唐揚げは今やカレーやラーメンと並んで、日本の日常食の一角に食い込んでいる。焼鳥や水炊きや蒸し鶏もいいが、鶏料理限定でアンケートを取ったら、唐揚げが最上位を占めるほどに人気がある。私の勤務先の法政大学の学食でも唐揚げ丼は大人気だし、それを売りにしている居酒屋は数多い。子どもの頃からお母さんの手作り弁当の定番だったという人も多いだろう。
 大分県の中津市ではご当地唐揚げが人気で、街中から外れたところにポツンと建つ唐揚げ専門店の付近では、クリスマスになると、渋滞が発生するという。その噂を聞いて、私もそのうちの一軒に立ち寄り、テイクアウトしてみた。百グラム一八〇円という価格設定は都内の惣菜店で買うより安いくらいで、大ぶりのものが二個か三個かある。ニンニクの下味がしっかりついたそれは外はサクサク、中はジューシーという鉄則が律儀に守られており、油切りもしっかりされていて、コンビニで売られている油を吸ったテニスボールみたいなそれとは雲泥の差だった。一気に四つ、二百グラム弱を平らげたが、胸焼けはなかった。また買いに行きたいと思っても、大分は遠く、時々、あの味を思い出してはため息をついている。その時、地元の事情通に「中津にはケンタッキーはありますか?」とやや意地悪な質問をしてみたところ、「ありましたが、もう撤退しました」という答えが返ってきた。あのワールド・チェーンのケンタッキーに白旗を上げさせるとはあっぱれである。
 関西で揚げ物といえば、串カツである。大阪新世界のある店の手書きの張り紙「ソース二度づけ禁止」が実質、キャッチコピーになって、全国に広まり、チェーン店も増えた。私が初めて串カツを食べたのはもう四十年も前になるか、大阪を訪れた際に友人の父親に連れて行かれたのだが、フワッとした衣に絡むウスターソースベースの甘辛いソースの相性が抜群だった。寿司屋のガリと同じ感覚で、一本食べるごとにキャベツをかじり、口の中をリセットする。キャベツが胃もたれ予防の薬の役割を果たすお陰で、揚げ物が苦手だった十代の頃の私でも十二本食べることができた。やがて、東京にも串カツとは似て非なる串揚げが登場し、揚げる素材のバリエーションを増やし、洗練を加えていったが、私はやはり豚やレンコンやナス、ウズラの卵、紅ショウガなどの素材をシンプルに、いやぶっきらぼうに揚げただけの串カツが好きだ。ヤングコーンを生ハムで巻いたやつとか、トマトとモッツァレラ、タコとオリーブを組み合わせたやつとか、一工夫加えたい料理人の気持ちはよくわかるが、話のタネに一度食べてみる程度で充分だ。
 以前、東大阪のおばちゃん一人でゆるく営業している串カツ屋に入った。どのメニューも一本百円なのだが、具材が大きい。豚は小ぶりの豚カツくらいあるし、ナスは一本の半分、レンコンは厚さが二センチもある。「もう少し小さくてもいいんじゃないか」というと、おばちゃんはこういった。
――小さくしたら、一本七十円にせなあかんやろ。計算が面倒くさい。大は小を兼ねんねん。
 お陰で五本も食べたら、満腹になってしまい、三人分の勘定をお願いしたら、四千万円といわれ、クレジットカードを出したら、「現金なら、四千円にまけたる」といわれた。


関西の揚げ物といえば大阪の「串カツ」


 揚げ物の横綱といえば、やはり江戸前天ぷらということになるか。江戸前とは東京湾のことで、ここで獲れたアナゴ、キス、メゴチ、エビなどをゴマ油できつね色に揚げたもののが、古きよき天ぷらというわけである。まだアナゴやキスは獲れるが、江戸前のメゴチは希少になり、高級店でしか食べられなくなった。
 寿司と同様、鮮度が命の料理だが、寿司は熟成させたり、酢で締めたりするので、必ずしも獲れたてを食べるわけではない。しかし、天ぷらは水揚げされたその日に、海水の塩分を感じられる状態で食べるのがベストである。黒澤明の『どですかでん』では、電車少年の母親役を菅井きんが演じていて、天ぷらを売って家計を支える設定になっていたが、私の少年時代には芋天十円、かき揚げ二十円という具合に天ぷらをバラ売りしている店をよく見かけた。揚げたて天ぷらが売りの立ち食いそば屋は今も少なくない。玉ねぎと人参、桜エビのかき揚げが乗ったそばは定番中の定番であるが、九州ではうどんのトッピングの一番人気はごぼう天である。門司港で食べたこぼう天うどんが今でも忘れられないが、靴べら状に切ったごぼう天が半開きの扇子のように乗っていた。
 ちくわ天や紅ショウガ天の安っぽさも捨てがたく、ハムカツを偏愛する心理と同様、ひなびたものに執着するのは一種のノスタルジーか。また、キャベツやケールの天ぷら、沖縄のもずくの天ぷら、生卵を油に落とし、周りに衣を散らすたまご天といった変わりダネ、コゴミやタラの芽、ウドなどの山菜天もあり、天ぷらは揚げ物界では最も奥が深いのである。
 天ぷら屋の厨房を覗くと、一斗缶の白絞油(しらしめゆ)がストックされている。これは菜種や大豆などを絞って精製した天ぷら用の油で、かつてスーパーなどで天ぷら油として売られていたものと同じである。サラダ油というのは白絞油をさらに精製し、蠟成分などの不純物を取り除いたものだ。この工程により、油はさらっとし、原料の香りも消える。ごま油やエキストラ・ヴァージン・オリーブオイルと同様、未精製の油で、それゆえに素材の風味が生きている。不純物も重要な味の決め手になるというわけである。もちろん、サラダ油でも天ぷらはできるが、ごま油で揚げる伝統的江戸前天ぷらとは別物になる。そこで折衷案として、家庭で天ぷらを揚げる時には七対三の割合でサラダ油にごま油をブレンドすると、浅草の天ぷら屋やそば屋の味が再現される。ネットで白絞油の一斗缶を手に入れるという方法もあるが、そこまでするなら、いっそのこと天ぷら屋台を開店するのがよかろう。梅雨が明けたら、人々は海や山に出かけるだろうが、バーベキューセットで焼肉なんてやっている素人を尻目に、野外天ぷら居酒屋を開店し、羨望を集め、ついでに絶品天ぷらや唐揚げを一つ百円で売ってやろうかと企んでいる。


関東人にとっての揚げ物はやはり「天ぷら」か

プロフィール

島田雅彦(しまだ・まさひこ)

1961年、東京都生まれ。作家・法政大学教授。東京外国語大学ロシア語学科卒業。在学中の83年に『優しいサヨクのための嬉遊曲』で注目される。『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞、『彼岸先生』で泉鏡花文学賞、『退廃姉妹』で伊藤整文学賞、『カオスの娘』で芸術選奨文部科学大臣賞、『虚人の星』で毎日出版文化賞を受賞。ほかの著書に『天国が降ってくる』『僕は模造人間』『彗星の住人』『悪貨』『ニッチを探して』『オペラ・シンドローム』など多数。2010年下半期より芥川賞選考委員を務める。