人気・実力を兼ね備えた執筆陣が贈る連載・読み物や豪華インタビューなど、
NHK出版が刊行する書籍(新書・翻訳書・文芸書・教養書)をご紹介するサイトです。

連載

思考入門
“よく考える” ための教室
戸田山和久(文と絵)

第1回 「考える」について考えてみる

最終更新日 2019.07.01

連載のねらいとターゲット

 「よく考えてからものを言え」とか「よく考えて決めなさい」とか、しょっちゅうお説教されるよね。そのくせ、「よく考える」ってどういうことなの、「よく考える」ためにはどうすればいいの、ってことを教えてくれる人はめったにいない。いないはずだよ。こういう決まり文句を口にする大人って、ご本人がちっともよく考えてないんだから。だから、こういうお説教をされたら、「よく考えてからものを言う」ってどういうことなのかよく考えてから言ったら? と答えればよい。そのあとどういう目にあうかは保証しませんが。
 少なくとも、この「よく」は「長時間」という意味ではなさそうだ。「よく煮こんでから醤油と砂糖で味をつけます」の「よく」とは違うのね。だって、長い間うじうじと考えているうちに行動にうつすタイミングを失うことってよくあるでしょ。あるいは、ずっとあれこれ考えているうちに、だんだんわけがわかんなくなってきて、けっきょく最悪のことをしてしまった、ということもある。「ヘタの考え休むに似たり」というしね。「よく」考えるにはそれなりの時間がかかるので、時間をかけて考えることと、よく考えることはイコールだと思われてしまうけど、そうではない。「よく考える」には、ちょうど良いところで考えるのをやめて行動にうつること、考えのやめどきを見定める、ということも入っていそうだ。
 というわけで、「よく考える」とはどういうことなのかをはっきりさせて、それができるようになるためにはどうすればよいかを教えてあげましょう。ついでにちょっとトレーニングもやってみましょう。これが連載のねらいだ。
 ちょっと背伸びした高学年の小学生と中学生を相手に書くことにする。子どもから大人への途上にあるキミたちにじかに語りかけたい。大人は放っておこう。大人にはもうあんまり期待できないから。子どものうちはまだ「よく考える」のがヘタだ。大人になるにつれ、よく考えるための方法がだんだん身についていく。と同時に、悲しいことだが、よく考えないですますためのノウハウも身につけてしまう。こっちの方のノウハウばかりたっぷり身につけてしまうと、よく考えるべきときによく考えることのできない大人になる。これはね、学歴つまり「いい大学を出ているかどうか」とはあまり関係がない。
 いったん「よく考えない習慣」が身についてしまうと、なかなかそこから抜け出せない。よく考える、ということをしないでいるのは、それなりに気持ちがいいからだ。オレの生活がこんなに苦しいのはみんな◯◯のせいだ、って考える人がいる。日本にも世界にも。「◯◯」のところには、「移民」がきたり「イスラム教徒」がきたり「ユダヤの陰謀」がきたり「在日特権」がきたりする。こんなふうに考えたところでちっとも生活が楽になるわけではないんだが、少なくともモヤモヤは晴れて気分はすっきりする、らしい。こうして、偏見とかステレオタイプとかスケープゴート(わからなかったら辞書を引きんさい)がずっと続くことになる。
 あるいは、自己愛もときにはよく考えることの妨げになる。
 「女の子は仕事なんて向いていないんだから、早く素敵な旦那さまをみつけて、美味しいご飯を作ってあげて、可愛い子どもを産んで育てなさい。それが女の子の幸せなんだから」と娘に言い聞かせる母親がいるとする。これからの社会のなりゆきをよくよく考えたらそうではないはずなんだが。そして、この母親じしん専業主婦の生活に虚しさと不満を溜めこんでいるのに、こういうことを言うとする。どうしてなんだろう。「女の子も手に職をつけて経済的に自立しなさい」と言うことが、自分の人生、自分の選択を否定することになってしまうからだ。誰だって「わたしの人生はこれでよし!」と思いたい。この母親は娘に言い聞かせているように見えて、じつは自分自身に言い聞かせているんだ。
 なので、大人はもう手遅れ。よく考えることのできる人は、すでによく考えることができる。よく考えなくなった人がよく考える人になるのは至難の技(わざ)。なぜなら、それをしようとすると、いったん、もっとモヤモヤしたり、「もしかして自分ってダメかも?」と思ったりして自己愛が傷つくからだ。これはシンドイ。
 というわけで、まだまだ発展途上にあるキミたちがこの連載のターゲットだ。とは言うものの、ワタシってちょっと考えるのが苦手かも……と思っている高校生、大学生、ひょっとして大人しょくんにも、ホントは役に立つ。そういう人にもぜひ読んでほしい。こっそりと。


「泡型吹き出し」登場

 これからお話ししたいのは「よく考える」こととそのやり方なのだけど、その前にまず「考える」ってどういうことなのかハッキリさせておこう。「考える」とは何か。「思考」とは何か。これにちゃんと答えようとすると、抽象的でややこしいことをいくらでも言うはめになる。でも、ここでは思いきり話をかんたんにしてしまう。
 コミックの「吹き出し」ってあるでしょ。英語ではスピーチ・バルーンっていうんだって。いちばんよく目にするのはこういうの。

 「風船型」っていうそうだ。何にでも名前がついているもんだね。口に出したセリフを表している。尻尾(しっぽ)の先にいるのが話し手だ。
 次によく出てくるのがこれ。

 「泡(あわ)型」という。多くの場合「尻尾」の部分は、小さいマルが並んだものになっている。口には出さずに思っていることを表したいときに使う。
 はい。思考とか「考え」ってのは、この泡型吹き出しのことです。そして泡型吹き出しのなかに書いてあること、それを思考や考えの内容(コンテンツ)という。で、この吹き出しが頭からぷわっと出てくること、それを「考える」という。以上。ね、わかりやすい定義でしょ。
 それにしても泡型吹き出しってのは大発明だよね。人の考えって目には見えない。それを目に見えるように表す工夫だ。誰が発明したのだろうと思って調べてみたけど、よくわからない。でも、けっこう古くからあるみたいだ。安永四年(1775年)に恋川春町(こいかわはるまち)という戯作者(げさくしゃ)が絵と文をかいた『金々先生栄華夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』という黄表紙(きびょうし)がある。「黄表紙」というのは「江戸時代の庶民向けユーモア小説、挿絵入りで二倍お得」と言えばよいかな。金持ちになりたくて田舎から江戸に出てきた金村屋金兵衛という若者が、途中で参詣(さんけい)した目黒不動尊の茶店でうたた寝をしたときに見た夢の話だ。大金持ちのあきんどの養子になって、金ピカの高級ファッションに身を包んで遊び暮らしていたが(当時こういう人を「金々先生」といった)、金目当ての取り巻きにだまされたり、遊びに金をつかいはたしたりしたあげく、家を追い出され、無一文に逆戻り。でも、すべては茶店で粟餅(あわもち)ができるまでに見た夢でした、という夢オチのありがちな物語。
 で、金兵衛が夢の世界に入っていくシーンがこの絵だ。
 横になっている金兵衛の頭から吹き出しが出ていて、そのなかに、大商人が駕籠(かご)で通りかかり、あとつぎがいないので養子になってくれと言われました、みたいなことが書いてある。つまり、吹き出しのなかは金兵衛が見た夢の内容を表している。形は泡型ではないけど、はたらきは泡型吹き出しと同じだ。この時代の黄表紙では、じっさいに口に出されたセリフは、絵の余白にそのまま書きこまれている。吹き出しは使わない。吹き出しが使われるのは、心のなかの思い(夢もその一種、夢というのは寝ながら考えている状態と言ってもよい)を心の外の世界から隔てるためだということがわかる。風船型が先にできて、泡型はその変形なのだろうと思っていたが、そうでもなさそうだ。