バックナンバー

からくり

 うちのおじいちゃんが残した言葉で一生忘れないものがある。
 何回か他のエッセイでも書いたけれど、ここでも記しておく。
 私の父がお国のためになら死んでもいい、戦争に行くといきまいていたとき、おじいちゃんはこう言ったという。
 「戦争で死ぬっていうのは、弾が当たったり地雷が爆発して即死したりするのはまれで、たいていはちょっとした傷口が膿んでだんだん弱っていったり、知らない菌に感染して苦しんだりして、じょじょに死んでいくものなんだ」
 それで父のやる気はほんとうにそがれたという。

 なんてすごいおじいちゃんなんだ、と私は思う。
 自分がなにかで死にかけてみたら突然わかる。イメージとしては切り花がもう水を吸わなくなってだんだん枯れていくときの感じだ。
 あれ? いつのまにかもう戻れないところにいる。しまった、ここまで弱っていたか、ここまで来ていたか。おかしいなあ、まだビールが飲めるし、がんばれば旅行だっていけるし、すごくがんばれば早起きだってできるし、具合が悪いことを人に悟られないでなんとか一日を終えられるじゃないか。だから、自分は大丈夫だと思っていた。でも、咳が止まらない、息がうまくできない、まっすぐ歩けない、微熱が下がらない、生理が止まらない、ものの味がしない、目がかすんだままだ…そんな感じ?
 これはそのまま私の体験ではないけれど、そういう感じだ。
 そこまでいくと、もう後戻りする道はとても険しくなっているものだ。
 でも、多分そこからでも人は引き返せる。

 私はそのずいぶん手前で、おかしいなと気づいた。
 それでも体はかなりのダメージをくらっていて、まだ引き返している道の途中にいる。そして韓流ドラマで何回も出てくるようなありふれたことを本気で思うようになった。
 今日が嬉しい。いっしょにいる家族が笑顔で、触れる距離にいることが嬉しい。一日が終わるのが淋しい。別に変に寛容になったわけではない。怒ったりイライラしたり怒鳴ったりすることだってある。でも、そうでないときは精一杯そうでないように過ごす。雨でも雨の幸せがあり、寒くても空気が澄んでいるのを味わい、寝不足なら寝るのを楽しみにし、その場の楽しいことを美しいことをじっと数えよう。
 もし明日が最後の一日でも、今日と同じように過ごしただろう、そう思える日々を生きていこう。
 たかのてるこちゃんは、それを「幸せのハードルを低くしておいたほうがいい」と表現していたけれど、ほんとうだと思う。


WEBマガジンラインナップ

トップページへ

ページトップへページトップへ

ページトップへ