ともだちの実家が群馬にある。
おいしい洋菓子屋さんを営んでいるので子どもができるまでふらふらしていた私はたまに遊びに行っていた。
今は子どもがいてなかなか顔を出せなくなったけれど、ともだちのお母さんが季節の変わり目にお菓子や野菜や名産品や、そして手作りのお漬け物やおでんやおひたしをいっしょに入れて送ってくれるようになった。
田舎のない私にとってそれは憧れの田舎のお母さんからの荷物みたいで、いつも嬉しく受けとっていたし、おいしくいただいていた。
うちの母はあまり料理をしないけれど、姉は料理がとても上手だ。
私が子どもを産んだ日、姉はまさにインフルエンザ真っ最中だったから来られなかったけれど、必死で大量の唐揚げを作って届けてくれた。産院ではさっぱりした食事しか食べちゃいけないことになっていたので、深夜に生まれたての赤ん坊を前に唐揚げを食べまくる自分がおかしくて笑った。唐揚げはまだあたたかくておいしくて、ビールがあったら最高なのにな、と生まれたての赤ちゃんにお茶で乾杯をしたすてきな思い出がある。
そんなふうに、私が入院したり倒れると、いつも姉があたたかいものを作って届けてくれたものだ。
しかし、この冬、二回のインフルエンザに倒れた私、耳も聞こえなくなり、治療が遅れたから毎日熱が四十度くらい出て、起き上がるのもままならなかった私にあたたかいものを送ってくれる人はだれもいなかった。
姉も体調を崩して入院していたのだった。
母も風邪で入院、父は危篤、姉も病院。
もう私には実家と呼べるものがなくなってしまったような、そこに行けば家族があった日々がいつも夢だったような気さえした。もちろん理屈ではわかっていた。父はともかく、あとの人たちにはまだ明日があるし、回復したらきっとぎりぎりで父にもまだ会える。そう思って明るく過ごそうとした。