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さよなら

「ずっと仲良くしてくれて、守ってくれたのに、こんな別れ方でごめんよ」
 両親の死から立ち直るまでしっかり包んでくれた大きな屋根と壁よ。
 子どもが二歳から十歳まで育つのを、家を破壊しながら遊び回るのを、なんとか受け止めてくれた床よ。
 老犬を見送り、子犬を迎え、震災をいっしょに乗り越えた天井よ。
 枯れているのにがんばって何回も花を咲かせ、実をつけてくれた梅や、とげとげした葉で玄関を守ってくれた、いつもクリスマスの飾りつけをしていたホーリー、ほめればほめるほどたくさん花を咲かせた桜、毛虫との闘いを続けながら作り物のようなきれいなピンクの花をつけた椿。まるで花畑のように鮮やかに庭中を白く光らせてくれたどくだみたち。いろいろな季節の喜びとももうお別れだった。

 その家の前に、十年間住んだ部屋を出るときは、そんなではなかった。
 ちゃんと別れを告げて掃除もしたし、最後に大家さんがベランダで丹精こめて育てているだいじな南天の枝をたくさん持たせてくれた。
 とてもいい店子さんだったし仲良くしてくれたから、と犬が傷つけた床の修理も敷金内で納めてくれた。
 まるですてきな長い旅に出るみたいな引っ越しだった。
 その頃は、人生はただそういうものだと思っていた。きっと人間に恵まれていたのだろう。だからこそいろんな局面でいくらだまされてもいい人でいるのをやめなかったかわいい当時の自分が今となっては懐かしい。
 真心があれば通じるとか、優しい気持ちは分かち合えるとか、本気で思っていた。
 しかし子どもが生まれ、親を失った私はもう少し大人になったようだ。
 大人になり、もっといろんなものをいろんな国で見てしまい、様々な救いようのない状況にも接し、いっそう強く優しくなった。
 状況を見極め、それに合った方法で、自分の軸をぶれないようにするためにはどういうふうにしたらいいかをちゃんと考える。そのほうが一律に優しいよりもずっと優しいのだということを知った。
 そんな厳しい嵐の中で、南天の枝をたくさん切って分けてくれた前の大家さんのような人が、灯台みたいに貴重だということをいっそう知るから、すばらしいのだ。

 それでも私の中にはなにかやりのこした感があったのだろう。
 どこかがもやもやしたままだった。
 その夜、前の家の近くに飲みに行って、帰りが夜中の一時になった。
 私はあえて前の家の前を通り、門を「いつものように」すりぬけ、「私の」玄関の前に立ち、ドアにおでこをつけて「ありがとう」と言った。
 これまでどんな人間に言ったよりも誠実なありがとうだったかもしれない。
 まだ契約中だったので、家に入ろうと思えば入れたが、さすがにそれはしなかった。


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