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さよなら

 そしてホーリーにキスをして、庭の木に一礼して、泣きながら夜道を帰った。
 新しい家の前に立つとまだ夫も子どもも起きていて、明かりがこうこうとついていた。犬の声もしてきた。家族は泣いている私にびっくりして、どうしたの?と優しくしてくれて、犬たちも飛びついてきた。
 そうだ、今日からはほんとうにここが私の家だ、と私は思った。
 ちゃんと区切りをつけて、はじめて心からそう思えるものなのだと知った。

 私はたくさんの人をバイトで雇ってきたので、いろんな人の辞め際を見ている。
 ほんとうに仕事ができる人は、明日から来なくていいと私にどなられても、ちゃんと一ヶ月くらいいて、引き継ぎをしてから辞めるものだといつの頃からか知った。
 私はこういう短気な人間だから、辞めますと言って辞表をたたきつけ今月のバイト代なんていらねえよ、とバイト先からダッシュで逃げたことも多々あるし、人のことは悪く言えない。
 それでもやはりそれは確かなことのように思う。
 私の顔色だけを見ている人は私に怒られるとすぐ辞めてしまうが、仕事そのものを見つめている人は決してそうしない。もちろん残務整理をしながら次の仕事を探しつつお金がもらえるというのが大きいと思うけれど、それだけではないと思う。
 もう辞める場所にいるんだから、居心地も悪いし、うじうじした気持ちにもなるし、発展性がないわけだから、つまらない毎日になるに決まっている。
 しかしそこでぐっとふんばって、地道に残務や引き継ぎをやりとげた人は、必ず次の場所で伸びるのだ。
 それとこれとは違うのかもしれないが、今回の家とのきちんとした別れに関しても、同じことを感じた。自分の心の中をクリーンにしてから旅立つ、場も清め、すっきりして、次の場所へと向かう。
 どうか私の人生の去り際もそうでありますように、と願わずにいられない。

 なにかが切り替わったら、新しい家のよそよそしさも急に消えた気がする。
 私の中に、もっと昔に持っていた自由ななにかがよみがえってきた。今を遊ぶ感覚や、昔を振り返ってみる心の動きや、気候を楽しむゆとりや。
 前の家は道路に面していたのでいつも車が通っていたけれど、今度の家は新しい村ができる工事の音がうるさいだけで、畑の中みたいに静かだ。
 新しい家に響く子どもや犬の足音もなじんできた。
 なじみのお手伝いさんがそうじをしながら猫に話しかける優しい声が前の家と同じようにあたたかく響いている。
 よし、間に合っている。私はやはりなにかに間に合ったのだ。
 そう思いながら、いつも幸せな昼寝をしている。


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