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死を見つめ、生をひらく

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電子版

NHK出版新書

死を見つめ、生をひらく

[著] 片山恭一

配信開始 2013年12月16日

電子書籍

ストアにより価格が異なります

商品紹介

死は生の終着ではない、生への「出発」である

死とは何か?虚無(終着)である―
この“定説”が神なき現代社会を縛りつけている。いま、私たちが行うべきは、死の問い方を「何か」から「何でありうるか」と修正し、一人一人が「死すべき私」を起点として自らの生を定義づけることだ。プラトン以来の人生観の一八〇度転回を求める“逆転の思考”を提示する。

 なぜ、生きまどう人が増えているのか? その根源的な原因は「死の忘却にある」と著者はいいます。「死とは何か→虚無(終着)である」の“定説”が、未来への展望なしに私たちを「現在」に縛りつけ、それが寄る辺ない精神状態を生み出しているというのです。では、どうすればよいのか? 著者はある“逆転の思考”を提言します。「そもそも〈死とは何か〉という問い自体が間違っている。そこからは〈死=虚無〉以外の答えは出ない。正しい問い方は〈死とは何でありうるか〉だ。死を本質ではなく可能性において問うことで、一人一人が自らの責任で死と向き合える。それがひいては個々の生き方を定義づける。ベクトルが逆なのだ。死は生の終着ではなく、生への出発なのである」。
 そこで著者は、この“逆説”を証明するために歴史をたどり、作家ならではの筋道を立てて論を展開していきます。たとえば、前近代の日本では、先祖信仰という形で先祖(死者)が生者の生き方の指針となっていた。過去の死者を絶えず意識することで現在の「生」は充実し、それがいずれは訪れる未来の「死」を責任をもって受容することにつながった。そこに近代合理主義が到来し、生者が死者を排除(死を忘却)していったことでこの関係は逆転し、折からの資本主義の隆盛とともに卑近な「現在」への執着が生じた。しかし、いま資本主義が行き詰まっている。たとえ人の寿命が延びたとしても、やがては訪れる「死=虚無」の克服にはいたらない。だから、死から生への新たなる逆転、すなわち生への出発がはかられなければならない――と。
 文壇デビュー以来、一貫して「死」にこだわり続けてきた著者が到達した境地は、“逆転の思考”で現代文明に対峙することを説く、人間の新しい生き方を提示するものです。
(NHK出版 加藤剛)

目次

第一章 医学は死を背負いきれない
第二章 イエとムラが支えた死生観
第三章 合理主義がニヒリズムを生んだ
第四章 人間を動物化させる資本主義
第五章 「延命」の果てにある「虚無」
第六章 死は「出発」である

商品情報

配信開始
2013年12月16日
価格
ストアによって異なります
データ形式
epub/xmdf
JP-eコード
1408841101000000000j